戦国武将の危機管理

「明智城落城!」自害した叔父が光秀に託した“遺言”

小和田哲男・静岡大学名誉教授
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「亀岡光秀まつり」の武者行列=京都府亀岡市で2008年5月(同市提供)
「亀岡光秀まつり」の武者行列=京都府亀岡市で2008年5月(同市提供)

 明智光秀の前半生は謎が多く、父親の名前についても系図によってちがいがある。光綱・光隆・光国の3説があるが、一般的に流布している系図は光綱説が多い。たとえば江戸時代末期に編纂(へんさん)された「系図纂要」に所収された「明智系図」では次のようになっている。

 父光綱は早くに亡くなり、光秀は父の弟、すなわち叔父にあたる光安の補佐を受けていたという。なお、その子の光春が光秀の娘婿となる秀満のことで、この系図では、光秀と秀満は従兄弟の関係となるが、秀満については、三宅出雲守の子とする説もある。

 この光綱・光安・光久兄弟の妹が斎藤道三に嫁いだことから、弘治2(1556)年4月20日の、道三と子の義龍が戦った長良川の戦いで、光秀は道三方につくのが本来は自然なことと思われる。ところが、このとき、光秀およびその補佐役である叔父の光安が道三方について戦ったとする史料はない。もしかしたら、中立的立場だったかもしれない。

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小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com