戦国武将の危機管理

信長に馬13頭を突き返された北条氏政の“逆転人生”

小和田哲男・静岡大学名誉教授
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北條五代祭り=小田原市で2015年5月3日、澤晴夫撮影
北條五代祭り=小田原市で2015年5月3日、澤晴夫撮影

 天正10(1582)年2月から3月にかけての織田信長による甲斐の武田勝頼攻めにあたり、小田原城の北条氏政は信長に呼応し、相模から武田領の駿河に攻め入っている。

 具体的には、氏政の弟北条氏規(うじのり)が大将となって、駿河の徳倉城(静岡県清水町)を2月28日に攻め、その日のうちに三枚橋城(沼津市)も落とし、3月1日には深沢城(御殿場市)も落としている。

 結局、このときの織田軍による武田攻めで、武田勝頼は3月11日、甲斐の天目山麓(ろく)の田野(たの=山梨県甲州市大和町)で自害し、戦国大名武田氏は滅亡した。

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小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com