
藤堂高虎といえば、加藤清正と並ぶ築城名人として有名であるが、苦労人だったことでも知られている。仕えた主君が戦いで負けたり、蒸発したり、不慮の死などで、とにかく生涯7回も主君を替えているのである。そんな苦労人だからこそ、残した家訓にも含蓄に富む言葉が見られる。
高虎の残した家訓は「高山(こうざん)公御遺訓」とよばれ、何と、全文200カ条から成っている。その第22条に次のような言葉が見える。なお、引用にあたって読み下しにした。
主人目の明かざるは必ず禍(わざわ)い多かるべし。奉公よくする者を見付けず、当座気に入りがほ成るを悦(よろこ)び、禄(ろく)をとらせ、懇(ねんご)ろふりするゆへに、能(よ)き奉公人気をかへ、暇(いとま)をとるもの也(なり)。主人の難にあらずや。当座気に入りがほの者ハまいすたるべし。
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小和田哲男
静岡大学名誉教授
戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com