戦国武将の危機管理

口を酸っぱくして「命令遵守」を定めた明智光秀の軍律

小和田哲男・静岡大学名誉教授
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「明智光秀肖像画」(本徳寺所蔵)=可児市提供
「明智光秀肖像画」(本徳寺所蔵)=可児市提供

 戦国武将は、一軍の統制を守るため、軍律を定めた厳しい家中軍法を制定している。多いのは抜け駆けの禁止、無断撤退の禁止などである。合戦のとき、家臣たちが功名心にはやり、勝手な行動を取ってはまずい。軍律は危機管理の一つといってよい。

 ところが、どういうわけか織田家中の軍法がほとんど残っていないのである。今回、ここに紹介する「明智光秀家中軍法」(福知山市御霊神社所蔵)はその意味では例外的存在である。

 「明智光秀家中軍法」という文書名は、後世の人が内容からつけたもので、本来の文書名は「定 条々」だ。前半の7カ条が軍法、後半の11カ条が軍役の賦課基準について書かれたものである。出されたのは天正9(1581)年6月2日となっている。注目すべき項目を見ておこう。

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小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com