
伊達政宗のことを「最後の戦国武将」などと表現することがある。永禄10(1567)年、織田信長が足利義昭を擁して上洛を果たす1年前、出羽国の米沢城で生まれ、寛永13(1636)年、3代将軍徳川家光が全国を安定して支配していたとき、江戸で亡くなっている。
この政宗が生きた70年は、混沌(こんとん)とした戦国時代から安定した江戸時代への過渡期にあたっていた。大ざっぱにいえば、政宗の生涯の3分の2は戦国時代で、残り3分の1は大坂の陣以降の江戸時代となる。
関ケ原合戦後は大坂の陣を除いて国内での戦いはなくなり、「徳川の平和」といわれている。戦いがなくなったことで、当然のように戦いへの備えは薄くなるし、緊張感に緩みも生じてくる。政宗はそれを警戒し、きちんと手を打っていた。それが武辺咄(ぶへんばなし)の奨励である。
この記事は有料記事です。
残り1052文字(全文1408文字)
投稿にはログインが必要です。
小和田哲男
静岡大学名誉教授
戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com