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コロナ禍の今なぜ「ベーシックインカム論」なのか

エコノミスト編集部
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 政府がすべての人に必要最低限の生活ができる収入を給付する「ベーシックインカム」の議論が、新型コロナウイルス問題とともに浮上している。ベーシックインカムとはどのようなものなのか。週刊エコノミスト7月21日号の巻頭特集「ベーシックインカム入門」よりダイジェストでお届けする。【週刊エコノミスト編集部】

「選別給付」から「全員給付」へ

 ベーシックインカム(BI)はこれまで経済学者や社会学者らの間で提唱されてきたが、大きな議論に発展するきっかけとなったのが、今年に入って猛威を振るった新型コロナウイルスの感染拡大と、新型コロナ対策として政府が実施した一律10万円の特別定額給付金だ。

 新型コロナの感染拡大は、世界的に人の移動を制約し、外食・旅行などの需要を一気に“蒸発”させた。あまりに多くの人が仕事を失う事態に直面し、政府は減収世帯を対象に30万円を給付する方針を一転。国内に住むすべての人を対象として、一律10万円の給付という前例のない措置に踏み切った。支援が必要な人を選別して給付してきたこれまでの常識を、いとも簡単に覆したのだ。

 一時的とはいえ、一律に10万円という規模で給付するのは、まさにBIの考え方そのものだ。経済活動の回復はコロナ前の水準には程遠く、第2波、第3波の懸念も広がる。7月に入って豪雨が九州を襲い、河川の氾濫で生活基盤を失う人も続出した。この先、この国に住む人の生活をどう保障するべきか――。その解の一つとして今、元経済財政政策担当相の竹中平蔵氏ら識者の間で盛んにBIが主張されるようになっている。

 
 

 財政緊縮派として知られ、政府が7月に新設した「新型コロナウイルス感染症対策分科会」のメンバーとなった経済学者、小林慶一郎・東京財団政策研究所研究主幹もその一人。「新型コロナのような危機はこれからも起こりうるが、緊急時には困っている人とそうでない人の区別が難しい。そうであれば、あらかじめ全員にお金を配ることで、保険を作っておくべきではないか」と強調する。

低所得世帯が増加

 日本で今、盛んにBIが議論されるようになったより大きな背景には、新型コロナに加え、日本社会の構造変化があるだろう。

 その一例が、相対的に所得の低い世帯の増加だ。厚生労働省「国民生活基礎調査」を基に、2018年と1998年の所得金額階級別の世帯数の状況を比較すると、この20年間でグラフ全体が所得の低い方に大きくシフトしたことが分かる。中央値は100万円近く低下し、新型コロナのような危機がひとたび発生すれば誰もが困窮しうる状況になった。

 慶応義塾大学の井手英策教授は、医療や教育などのサービスを税財源で無償提供する「ベーシック・サービス」の提唱者で、現金を直接給付するBIには否定的な立場だが、BIが今、盛んに議論される背景について「皆、生活が苦しくなっている状況で、一部の困っている人だけを支援しようとすると社会の分断を招いてしまう。人々は誰もが普遍的に受益できる政策を求めている」と分析する。

 年金など既存の社会保障制度が、少子高齢化や低成長化が進む現在に対応しきれていない側面もある。パートなど短時間労働者への厚生年金の適用拡大を柱とする年金制度改革関連法が6月、参院で可決、成立したが、将来世代の年金額底上げに向け、加入義務がある企業の規模要件(従業員数)の拡大はまさにこれから。新型コロナの感染拡大で企業業績が悪化する中、パート比率の高い企業などから実施延期を求める声も出ている。

感染拡大で「東京アラート」が発令された時にはレインボーブリッジが赤色にライトアップされた=2020年6月2日、手塚耕一郎撮影
感染拡大で「東京アラート」が発令された時にはレインボーブリッジが赤色にライトアップされた=2020年6月2日、手塚耕一郎撮影

 「最後のセーフティーネット」である生活保護も、目先の収入を突然絶たれた人には使いにくい。福祉事務所から資力や親族からの援助の可否などの調査を受け、やむをえないと認められて初めて保護を受けられる。受給中は毎月、収入の状況を申告しなければならないなど、厳しい条件に受給をちゅうちょする人が後を絶たない。

実現に向けた高すぎる「壁」

 だが、BIの実現に向けては、相当に高い壁がそびえる。最大の問題が財源だ。特別定額給付金は予算が約13兆円と、20年度当初予算(102兆円)の1割を超える。1度きりでもこの規模であり、毎月10万円ずつ給付すれば150兆円を上回ってしまう。現行の財政の枠組みでは、定期的に給付するなら際限なく財政赤字が拡大し、とても持続は不可能だ。BIの議論はいきおい、既存の社会保障制度の扱いや税制の根幹にまで及ぶ。

 ただ、既存の社会保障制度に手を付けようとすれば、その影響は年金の受給者や被保険者などあまりに多くの人に及ぶ。同じBIの提唱者の中でも、現行の社会保障制度を存続させる意見から、すべて置き換える意見まで幅広く、隔たりは容易に埋まりそうにない。

 それでも歩みを進めようとBIの研究者や活動家らが18年12月、「日本ベーシックインカム学会」を設立した。樋口浩義会長は「これまで多くの研究者や活動家がBIを主張してきたが、考え方はバラバラで、一つにまとめるのが難しかった。中立的な組織を設け、意見交換を重ねる必要がある」と話す。

 BIを求める素地が現在の日本で広がっているのは間違いない。BIの議論は日本の窮状を映す鏡でもあり、単なる「夢物語」では済ませられなくなっている。

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 この記事は、週刊エコノミスト7月21日号の巻頭特集「ベーシックインカム入門」の記事をウェブ用に編集したものです。連載「週刊エコノミスト・トップストーリー」は原則、毎週水曜日に掲載します。

週刊エコノミスト7月21日号

 
 

エコノミスト編集部

藤枝克治編集長率いる経済分野を中心として取材、編集するチーム。経済だけでなく社会、外交も含め幅広く取材する記者の集団であり、各界の専門家にコラムや情報提供を依頼する編集者の集団でもある。