鉄道カメラマン見聞録

北斗星・カシオペアけん引「最強ディーゼルDD51」

金盛正樹・鉄道カメラマン
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大学時代の山陰撮影旅行のワンショット。DD51が旧型客車を従え、初代餘部鉄橋を渡る姿が懐かしい=兵庫県の山陰線・鎧-餘部間で1986年8月、金盛正樹撮影
大学時代の山陰撮影旅行のワンショット。DD51が旧型客車を従え、初代餘部鉄橋を渡る姿が懐かしい=兵庫県の山陰線・鎧-餘部間で1986年8月、金盛正樹撮影

 今回からディーゼル機関車について語りたいと思います。

 まずは日本の鉄道の動力史を見ていきましょう。日本の鉄道は明治初頭の1872年に蒸気機関車でスタートしたわけですが、明治中期には早くも電車が登場。電気機関車も明治末の1912年に走り始め、電気車両は比較的早い段階で実用化しました。

 これに対しディーゼルカーやディーゼル機関車などの内燃機関車両は、なかなか技術が確立しませんでした。

 最初はガソリンエンジンの車両が普及し始めました。大正後期から昭和初期にかけての20年代のことです。ディーゼルエンジンもドイツやスイスから輸入されましたが、高価な上にガソリンエンジンに比べて精密で、高度な整備技術が要求されたため普及しませんでした。

 しかしガソリンは燃料の発火性が高く、車両火災のリスクを伴います。当時の鉄道省や車両メーカー、機械メーカーはガソリンエンジンよりも力が強く、実用的な国産ディーゼルエンジンの開発を重ねますが、30年代後半に戦時体制に突入すると、軽油や潤滑油の使用が制限されてディーゼル車両の開発は一旦途絶えました。

 戦後となった50年代以降、ディーゼル車両の開発は加速します。本格的な量産には至りませんでしたが、国鉄は幹線用DD50や入換用DD11といったディーゼル機関車を登場させました。

 そして数種の量産機を経た62年、幹線用ディーゼル機関車の決定版DD51が誕生しました。高出力エンジンと、これに対応し耐久性の高い「液体変速機」を備えていました。液体変速機とは、自動車でいうオートマチックトランスミッションのトルコン(トルクコンバータ=オイルなどを介した液体クラッチ)で、この開発…

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金盛正樹

鉄道カメラマン

 1967年神戸市生まれ。千葉大学工学部画像工学科卒業後、商業写真プロダクション「ササキスタジオ」に7年間在籍。1996年からフリー。鉄道専門誌や一般誌に写真を発表している。「鉄道と名のつくものは、実物から模型、おもちゃまで何でも撮影する」がモットー。日本鉄道写真作家協会(JRPS)会員。鉄道と同じくらいクルマも好きで、愛車はスズキジムニー。機械式カメラ、日本史、日本刀など趣味多数。