
村上春樹の6年ぶりの短編集「一人称単数」(文芸春秋)を面白く読んだ。すでに70歳代に入った村上の人生を振り返っての感慨や、人の世に対する思いが色濃く表れた一冊だ。最初の短編集「中国行きのスロウ・ボート」以来、村上は実は「短編の名手」と呼びたい作家だが、今回もその世界を楽しめた。
マイペースの仕事ぶり
村上は1949年生まれ。ジョギングやビールのイメージが強いので、ついつい忘れてしまいそうになるが、もう老境に入っているといってもいい。相変わらず、マイペースの仕事ぶりだが、FMラジオのディスクジョッキーをして番組の企画にまでかかわったり、亡父の記憶をエッセー「猫を棄(す)てる」に書いたりして、幅広い活躍をしている。長編小説は3年前に「騎士団長殺し」を出した。
村上の軌跡を振り返ると、「人生の名人」と呼びたくなるぐらい生き方が上手だ。時間を大切に使い、自分がつまらないと思うことにはかかわらず、いつも自身の筋を守っている。文壇付き合いは(文学賞の選考委員も含めて)ほとんどしないが、小説はもちろん、翻訳やエッセーなど、仕事は着々と積み重ねてきた。インタビューに応じたり、講演をしたりする回数は少なく、自分の露出をコントロールしている。それで、新鮮さを保っている。
最近の仕事ぶりからは、やり残したことのないようにしようという意思を感じる。「あと何年生きられるか、わからないけれど、やりたいことや、やるべきことはどんどんやってしまおう」という心持ちが伝わってくるのだ。
短編8編を収録
「一人称単数」には8編が収録されている。主人公は村上自身とも思われるような設定になっている。毎日新聞の村上…
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重里徹也
文芸評論家、聖徳大教授
1957年、大阪市生まれ。大阪外国語大(現・大阪大外国語学部)ロシア語学科卒。82年、毎日新聞に入社。東京本社学芸部長、論説委員などを歴任。2015年春から聖徳大教授。著書に「文学館への旅」(毎日新聞社)、共著に「村上春樹で世界を読む」(祥伝社) などがある。