藻谷浩介の世界「来た・見た・考えた」

「マチュピチュ遺跡」歴史を知り現地を見てわかること

藻谷浩介・地域エコノミスト
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遺跡の真下のマチュピチュ村は欧州のリゾートのよう。Wi-Fiも通じる別世界(写真は筆者撮影)
遺跡の真下のマチュピチュ村は欧州のリゾートのよう。Wi-Fiも通じる別世界(写真は筆者撮影)

 クスコの宿を早朝6時に出て、送迎車、鉄道、シャトルバスと乗り継いで、マチュピチュ遺跡の前にたどり着いたのは、予定より2時間近く遅れた午後1時。行き帰りの観光客が入り混じってごったがえす中、さっさと当方を見つけて「モタニ?」と声をかけてきたガイドは、流ちょうな英語を話すインテリ風のペルー人だった。

 「さんざん待たせて申し訳ない」と私が言うと、「いや、もう1組いるので待ってくれ」とガイドは言う。幸い10分ほどでドイツ人のカップルと合流、4人で遺跡への入場門をくぐる。

 門の先には段々畑の遺構が広がっていた。黒部峡谷の斜面を無理やりに石積みにしたという感じの急傾斜だ。ガイドの話では、ここを耕す農民は、ふもとから標高差500メートルほどを毎日登山して通っていたそうである。奴隷ではなく、インカ皇帝に尽くすという使命に喜々として従事していたらしい。当地の年間降水量は1900ミリで日本の平均より多い。それでも500年近く崖崩れを起こさないその土木技術には、驚嘆するしかない。

 耕作されていたのは、アンデス地方原産のジャガイモとキヌア(雑穀)、中米原産のトウモロコシだったという。

 豆粒ほどの大きさだったジャガイモの原種を、営々と品種改良したインカ人の努力は、これが欧州に持ち込まれたことで世界の歴史まで変える。寒冷なドイツやロシアの生産力が向上し、18世紀以降には欧州の強国に躍り出たのだ。アンデス地方からの金銀の収奪でいっとき栄えたスペインは、対照的にこのころから列強より脱落していく。

 その段々畑を右手に急坂を上って、遺跡を一望できる場所に着いた。標高は2400メートル超で、クスコよりは1000メ…

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藻谷浩介

地域エコノミスト

1964年山口県生まれ。平成大合併前の約3200市町村のすべて、海外114カ国を私費で訪問し、地域特性を多面的に把握する。2000年ごろから地域振興や人口問題に関して精力的に研究、執筆、講演を行う。著書に「デフレの正体」「里山資本主義」ほか多数。国内の鉄道(鉄軌道)全線を完乗した鉄道マニアでもある。