藻谷浩介の世界「来た・見た・考えた」

「インカ帝国滅亡の真因は?」首都クスコで夢想した

藻谷浩介・地域エコノミスト
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クスコ西方のサクサイワマン要塞。丘の上に並ぶ十字架はインカ文明の墓標か、未来への祈りなのか(写真は筆者撮影)
クスコ西方のサクサイワマン要塞。丘の上に並ぶ十字架はインカ文明の墓標か、未来への祈りなのか(写真は筆者撮影)

 アンデスの古都クスコは、インカ時代の精巧な石組みの土台の上に、スペイン人の建てた家並みの広がる町だった(訪問は2017年)。太陽神殿から西に向かい、両側を石組みの壁に挟まれた石畳の路地が入り組むエリアに入る。壁の石はお互いにぴったり組み合わされて収まっており、中には「12個の角を持つ巨石」もあった(南米アンデス古代文明編〈3〉写真参照)。

 巨石から西へ、二つの大きな教会があるアルマス広場に出ると、緑の芝生と花壇があり、大勢の観光客がいた。欧州そのものの雰囲気だが、インカ時代にも二つの広場があり、王族や貴族が憩っていたらしい。

 今度は北の方向に、石畳の坂を上っていく。途中にひな壇のようになったサンクリストバル広場があり、市街が一望できるが、さらにその北の丘の上にあるサクサイワマン要塞(ようさい)の遺跡まで上れば、格段に眺めの良い高台がある(南米アンデス古代文明編〈3〉写真参照)。空港の標高が3300メートル、アルマス広場は3400メートルで、目指す要塞跡は3600メートル弱だ。標高2500メートルのボゴタで2泊していたおかげで、息は切れるが足は止めずに歩いて行ける。

 やがて家並みは切れ、谷川沿いの急な石段を上った先に、広大な遺跡が現れた。そこには大勢の観光客が歩いていたが、各種ツアーに参加して、バスで裏側から上ってきたのだろう。確かに高山病を避けつつ効率よく見ようと思えばツアーに限るのだが、市街から往時のように歩いて上ることこそ、この遺跡を体感するための枢要な部分だと考える筆者としては、いきなり中心部まで車で上がってしまうやり方では楽しめない。

 芝生の広大な広場を挟んで、南北に…

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藻谷浩介

地域エコノミスト

1964年山口県生まれ。平成大合併前の約3200市町村のすべて、海外114カ国を私費で訪問し、地域特性を多面的に把握する。2000年ごろから地域振興や人口問題に関して精力的に研究、執筆、講演を行う。著書に「デフレの正体」「里山資本主義」ほか多数。国内の鉄道(鉄軌道)全線を完乗した鉄道マニアでもある。