藻谷浩介の世界「来た・見た・考えた」

ムンバイ市街を一人歩き実感「インドはすべてが過剰」

藻谷浩介・地域エコノミスト
  • 文字
  • 印刷
巨大都市ムンバイの中心にあるチャトラパティ・シバージー・ターミナス(CST)駅。ひっきりなしに通勤電車が発着する(写真は筆者撮影)
巨大都市ムンバイの中心にあるチャトラパティ・シバージー・ターミナス(CST)駅。ひっきりなしに通勤電車が発着する(写真は筆者撮影)

インド・ムンバイとゴア編(3)

 どこに行っても人が群れているムンバイ。混雑する船でのエレファンタ島往復を終え、ホテルの部屋でしばし一人静かにビールをいただいた筆者。元気をチャージしてから、夕方のムンバイ都心を歩いてみる。

ムンバイはあか抜けた町

 2019年12月上旬の日曜日午後4時過ぎ。ムンバイ中心街の南端近くにあるタージマハルホテルを出た筆者は、まずは北に3キロ弱にあるこの町の中心駅、チャトラパティ・シバージー・ターミナス(CST)駅まで歩くことにした。この区間は、市街を南北に縦貫するメトロ3号線を建設中だが、現状では軌道系交通機関はない。

 ちなみにメトロ1号線は、北部のムンバイ国際空港の、さらに北を東西に走っている(メトロといっても地下鉄ではなく高架鉄道)。2号線は計画だけで未着手のようだ。南北方向には通勤鉄道が3線と、モノレールもあるが、いずれも走っているのはCST駅より北側だ。今歩いている市街地は、おそらくムンバイの最初のビジネス街と繁華街だが、軌道系交通機関の整備は後回しにされた感がある。

 10年前に訪れたデリーに比べれば、ムンバイのこのあたりはずっとあか抜けた印象だ。今ではデリーもそうなのか、最新状況を見ないとわからないのだが、おそらく両都市には中国の政治都市・北京と経済都市・上海のような違いがあるだろう。デリーは古代にさかのぼる王都だが、ムンバイは16世紀に、マカオや長崎にやや先駆けてポルトガル人によって建設された町だ。17世紀からは英国領となり、西洋からの玄関口として発展した。

 そのような歴史からか、道行く人にも今風の人が多いし、街並みにも建物にも、インド…

この記事は有料記事です。

残り2092文字(全文2788文字)

藻谷浩介

地域エコノミスト

1964年山口県生まれ。平成大合併前の約3200市町村のすべて、海外114カ国を私費で訪問し、地域特性を多面的に把握する。2000年ごろから地域振興や人口問題に関して精力的に研究、執筆、講演を行う。著書に「デフレの正体」「里山資本主義」ほか多数。国内の鉄道(鉄軌道)全線を完乗した鉄道マニアでもある。