毎日家業×創業ラボ

「まさか家業を継ぐなんて」栄鋳造所・鈴木隆史さん

清水憲司・毎日新聞経済部副部長(前ワシントン特派員)
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栄鋳造所の鈴木隆史社長=東京都八王子市で、西夏生撮影
栄鋳造所の鈴木隆史社長=東京都八王子市で、西夏生撮影

「私の家業ストーリー」<1>

 製造業の「要」として戦後の経済成長を支えたものの、近年は安価な海外製品に押されて廃業するケースが多い鋳物業界。東京・八王子の「栄鋳造所」の4代目経営者、鈴木隆史さん(46)は、何度も襲ってくる危機を乗り越え、グローバル展開で会社を飛躍させた。最初は「不本意」で継いだ家業だったが、今では地域の若手経営者のリーダーとして後進育成にも乗り出している。「会社を継ぐことと『経営者』になることは違う」。鈴木さんが覚悟を決めた理由とは。その歩みを5回にわたって報告する。 

薄暗い工場に流れる軍歌

 「この会社に就職することは絶対ないだろうな」。幼心にずっと感じていた。働いていたのは60代を超えた職人さんばかり。薄暗い工場には時折、有線放送の軍歌が流れていた。長男だったが、社長の父敏雄さんから「継げ」と言われたことはなく、家業を継ぐなんて考えもしなかった。

 やんちゃな男の子だった。中学までサッカー部だったが、高校ではパンクロックのバンドを始め、残りの時間はアルバイトにつぎ込んだ。バーテン見習やレジャー施設のプール監視員……。「将来のことは何も考えていない風来坊。何の野望も、何の目的もない青年時代だった」と振り返る。

 高校3年の2学期が終わる頃、ホテルマンになろうと専門学校への進学希望を伝えると、担任の先生は「このままじゃ卒業できない。これから無遅刻・無欠席で、補習をしっかり受けろ」。寝坊して遅刻してしまわないよう、同じ状況だった仲間3人と深夜にファミレスに集合。そこから学校に通い、何とか卒業にこぎ着けた。

 就職活動のタイミングを失ったこともあり、バイト先だったレジャー施設に就職。30歳ぐらいになったら旅行代理店か結婚式の企画会社を起業しようと考えていた。

突然の母の懇願

 就職して4年目の夏。朝食を食べていると、母陽子さんがいきなり切り出した。「お父さんの会社を継いでほしい」。父敏雄さんはその頃、高齢化が進む社内に危機感を持ち、若い人たちでも鋳造ができる「Vプロ」という最新設備を導入したばかりで、ノウハウの蓄積に孤軍奮闘のさなかだった。

 鋳物職人は5年、10年と経験を積んでようやく一人前になれる。最新設備の導入に、職人たちは「もう俺たちは必要ないのか」と疑心暗鬼になり、背を向けていた。工場で孤立する敏雄さんを「助けてほしい」という気持ちだったのは分かったが、「自分の人生は自分で決めたい」と突っぱねた。

 敏雄さんは何も言わなかったが、思い詰めた陽子さんから毎日のように、時には涙を流して家業を継ぐよう説得された。半年後、「嫌だけど仕方がない」と受け入れた。

鈴木隆史さんが経営する栄鋳造所=東京都八王子市で、清水憲司撮影
鈴木隆史さんが経営する栄鋳造所=東京都八王子市で、清水憲司撮影

 1996年、入社初日のことが忘れられない。敏雄さんが「うちのせがれだ。これからよろしく」と紹介したが、言われたのはそれだけ。誰も何も声をかけてこない。手持ち無沙汰で、工場の掃除を始めると、無言でほうきを取り上げられた。「仕事は背中を見て覚えろ」という意味だったかもしれないが、当時22歳。「これで人生、終わった」と、その夜は風呂場で泣いた。

 1年たった頃、営業担当を任された。実際にはクレーム処理。製品に不具合があったら、取引先に駆けつけて苦情を聞く。「お客さんの前では『すみません』だけにしろ」ときつく言われ、苦情を書き込む小さなメモ帳とペンを渡された。報告のため、敏雄さんのところに行くと、メモを見るだけで何も言わない。メモから息子の成長を読み取ろうとしていたのだろうが、誰も答えをくれない状況に、自分で考えて動くしかないと思い始めた。

 若者が就職してくれるような会社にしないといけない--。友人にアルバイトに来てもらい、会社の改善点を書き出してもらうと、A4の紙が裏表いっぱいになった。シャワールームを設置し、機械の音がうるさくて電話もできない事務所を工場内から別棟に移した。こうした提案を敏雄さんは一つ一つ採用していった。

 その頃の主力製品は、ウレタンを自動車のシートの形に発泡させる金型だった。消費税率が3%から5%に上がる前の駆け込み需要に加え、軽自動車の安全規格の変更に伴い、自動車部品メーカーは金型を一新する必要があり、栄鋳造所は特需にわいていた。

社員とコミュニケーションをとる栄鋳造所の鈴木隆史代表取締役社長=東京都八王子市で2020年9月9日、西夏生撮影
社員とコミュニケーションをとる栄鋳造所の鈴木隆史代表取締役社長=東京都八王子市で2020年9月9日、西夏生撮影

倒産から再建へ「やります」

 しかし、特需は99年に終わる。売り上げは「フリーフォールのように落ちていった」。別工場の業績不振も重なって、栄鋳造所は事実上の倒産に追い込まれる。家族会議に立ち会った知り合いの会計士に「再生する方法はある。ただし、お前次第だ」と迫られた。両親が見守る前で出した答えは「やります」。祖父が立ち上げた会社を潰すわけにはいかないという思いと、残った従業員3人の生活がかかっていると考えたからだった。

 <「私の家業ストーリー」は毎週火曜日に更新します。鈴木さんの連載2回目のテーマは「父と子」です>

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清水憲司

毎日新聞経済部副部長(前ワシントン特派員)

 1975年、宮城県生まれ。高校時代まで長野県で過ごし、東京大学文学部を卒業後、99年毎日新聞社に入社。前橋支局を経て、東京経済部で流通・商社、金融庁、財務省、日銀、エネルギー・東京電力などを担当した。2014~18年には北米総局(ワシントン)で、米国経済や企業動向のほか、通商問題などオバマ、トランプ両政権の経済政策を取材した。