毎日家業×創業ラボ

継がなかったら「一生後悔する」諏訪さんの決断

永井大介・毎日みらい創造ラボ・アクセラレーター
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作業場で従業員と話し合うダイヤ精機の諏訪貴子さん(左)=東京都大田区で2020年12月、宮間俊樹撮影
作業場で従業員と話し合うダイヤ精機の諏訪貴子さん(左)=東京都大田区で2020年12月、宮間俊樹撮影

 東京・大田の精密金属加工「ダイヤ精機」の2代目社長、諏訪貴子さん(49)は、父の突然の死に直面し、主婦から社長に転身しました。貴子さんが「人生で初めて自分の意思で決断した」という社長就任は、景気悪化の荒波にもまれる船出となりました。

私の家業ストーリー<3>

 2004年4月に父保雄さんを突然の病気で亡くした貴子さん。病床で言葉にならない声で、何かを必死に訴える保雄さんに「会社は大丈夫だから」と伝えたものの、自身がその後にダイヤ精機を継ぐことになるとは夢にも思っていなかった。

 貴子さんの夫も後継候補の一人だった。勤務先はダイヤ精機の取引先である大手自動車部品メーカー。業界事情には精通しているものの、ダイヤ精機の社内事情には詳しくない。貴子さんが頼めば引き受ける可能性もあったが、希望していた米国転勤が間近に迫り、夫から言い出さない限り、ダイヤ精機を引き継いでもらおうとは考えなかった。

 貴子さんはすぐに幹部社員3人を集めた。「社員みんなで話し合って、社員の中から新たな社長を出してほしい」と頼んだ。「恐らく、幹部社員の誰かが継ぐことになるのだろう」。そう考えていた貴子さんだったが、数日後に幹部社員が出した結論は予想外のものだった。

社員の懇願「俺たちが支える」

 「貴子さん、社長になってください」。頭を下げる社員を前に「私?」とたじろいだ。「俺たちが全力で支えるから」

 貴子さんには、ダイヤ精機で勤務経験があり、社内事情もある程度は把握していた。大手自動車部品メーカーでの勤務経験もあったが、経営は素人。周囲で町工場の女性経営者など聞いたこともない。「32歳の女性社長がどうやってベテランの職人と渡り合うのか。イメージがわかなかった」と振り返る。

 私生活では夫、息子と米国行きの準備を進めていた。苦労することが明らかな社長就任と米国での新生活、全く異なる選択を突きつけられた。それでも、保雄さんを支え続けてきた社員たちが頭を下げる姿を目の前にしては、即座に断れなかった。「少し考えさせてほしい」

 社長になれば、社員を引っ張って業績を回復させ、社員とその家族の生活を守らなければならない。会社が抱える銀行からの借入金の連帯保証人にもなる。経営状況が悪化すれば、夫や息子にも迷惑をかけることになる。

 社員たちの思いに応えるか、別の人を新社長として推薦するか。「いっそのこと会社をたたんでしまおうか」と思ったことさえあった。以前から付き合いがあり、保雄さんの相続手続きを行っていた女性弁護士に「社長になるのが怖い」と本音をぶつけた。

背中を押した弁護士の言葉

 女性弁護士の答えは明確だった。「すでに資産があるのならば話は別だけれど、恐れることなんて何もないじゃない。失敗しても命まで取られるわけではないし、自己破産しちゃえばいいのだから」。背中をポンと押された気がした。「米国で暮らし、経営を学ぶチャンスは再び訪れるかもしれない。でも、もし自分が継がずに『ダイヤ精機』という会社がなくなったら一生後悔する」

 ダイヤ精機は日本でトップクラスの精密加工技術を持つ会社だ。職人はダイヤ精機で働くことに誇りを持ち、創業者が突然亡くなるという逆風下でも、誰一人として辞めることはなかった。「会社がなくなることだけは嫌です」と涙を流す社員もいた。

 貴子さんは腹をくくった。大好きな会社から貴子さんを社長に望む声があがり、会社の存続を求めて涙する社員がいる。そう考えれば結論は一つだった。「私が会社を継ごう」。04年5月、ダイヤ精機2代目社長となることを決意した。

始まった銀行との駆け引き

 会社を継ぐと決断してすぐ、取引先や取引銀行へのあいさつ回りが始まった。バブル崩壊後の景気低迷が長引き、ダイヤ精機の売り上げは最盛期の約半分に落ち込んでいた。当時、銀行も政府の号令の下、不良債権処理と経営立て直しに必死だった。銀行が貴子さんを後継者として認めなければ取引は続かないし、一括で融資返済を求めてくる恐れもあった。貴子さんは早速、銀行との駆け引きに直面した。

 取引先の銀行に姉と訪れた時のことだった。支店長室で「諏訪保雄の娘の貴子です。私がダイヤ精機を継ぐことになりました。よろしくお願いします」とあいさつすると男性支店長は「大丈夫なの? お前がちゃんと頑張らないとダメなんだぞ」と応じた。

 いきなり「お前」呼ばわりされたことに貴子さんは「は? 今、誰に『お前』と言いました? 私は客としてあいさつに来たんですよね? 客である社長を『お前』呼ばわりする銀行とは良い関係なんてつくれない。無理です」とまくし立てた。

 「やってられない。お姉ちゃん、帰るよ」と席を立とうとする貴子さんを姉が必死になだめた。この日、銀行には社葬の手伝いをお願いしにきたはずだった。姉の取りなしでなんとか引き受けてもらったが、支店長室には重苦しい雰囲気が流れていた。

 実は、支店長に対して怒りをあらわにしたのは、貴子さんの戦略だった。銀行とは対等なパートナーであるべきだ、と考えていた貴子さんは銀行側の言葉尻を捉えるチャンスを狙っていた。「社長の娘というだけで経験も浅く、32歳という若さも銀行にとってはマイナス要因。社長として認めてもらうためには、存在感や覚悟を示す必要があった」と語る。

 そこには父保雄さんの教えがあった。生前、銀行との交渉に同行した時のこと。保雄さんが「てめえ、ふざけんなよ!」とものすごい剣幕でまくし立てたことがあった。「客観的にみて、どう考えても銀行の言っていることの方が正しかった。でも、次の瞬間、銀行側が『分かりました』と矛を収めていました」

 その後、銀行の助けも借りて社葬は滞りなく済ませた。その場で社長就任を宣言した貴子さんだったが、花に囲まれた保雄さんの遺影を前に涙がこぼれた。事業承継のために無我夢中で走り続けた1カ月間、社葬で父の死を初めて実感として受け止めた。

「合併せよ」銀行が放った矢

 それもつかの間。数日後、銀行の支店長と担当者がダイヤ精機を訪れた。持ちかけてきたのは、合併話だった。

 合併相手は同じ精密加工メーカー。規模は変わらなかったが、大手自動車メーカーを取引先とするダイヤ精機に対して、相手の取引先は中小メーカーが中心。銀行は「合併で売り上げは増えるし、コストも減る。合併後は、諏訪さんには辞めていただき、先方の社長に合併会社の社長に就任してもらう予定です」と説得にかかった。

 「冗談じゃない。この合併は私たちにメリットがない」と貴子さんは一蹴した。ダイヤ精機の「技術力」が狙いの合併話であることは明らかだった。合併を受け入れれば、コスト削減の名のもとに多くの従業員がリストラされる恐れもあった。

 それでも銀行は「売り上げが減り続けることは目に見えている」「単独での生き残りは難しい」と迫った。言葉の応酬がしばらく続いた。貴子さんは「考えは分かった。でも、半年待ってほしい。結果が出なかったら、銀行の思うようにしていい。でも、うまくいったら単独でやらせてほしい」。そう伝えて、なんとか銀行を追い返した。

 「業績を回復しないとダイヤ精機はなくなる」。主婦から社長に転身したばかりの貴子さんに残された時間はあまりにも少なかった。

<「私の家業ストーリー」は毎週火曜日に更新します。諏訪さんの連載4回目は、銀行に「半年で結果を出す」と啖呵(たんか)を切った貴子さんが、どう結果を出し、3年で事業を立て直したかを追いかけます>

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永井大介

毎日みらい創造ラボ・アクセラレーター

 1975年神奈川県生まれ。住友銀行(現三井住友銀行)を経て2000年、毎日新聞社に入社。山形支局、東京社会部を経て、東京経済部で中央官庁や日銀、自動車、鉄道などを担当した。17年からベンチャー支援を行い、30社以上の立ち上げに関わったほか、毎日新聞社の新規事業創出も担っている。NEDO高度専門支援人材フェロー。実家は神奈川県厚木市の測量会社。