毎日家業×創業ラボ

「半年で結果を」苦渋のリストラ・諏訪貴子さん

永井大介・毎日みらい創造ラボ・アクセラレーター
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作業場で従業員と話し合うダイヤ精機の諏訪貴子さん(右)=東京都大田区で、宮間俊樹撮影
作業場で従業員と話し合うダイヤ精機の諏訪貴子さん(右)=東京都大田区で、宮間俊樹撮影

 東京・大田の精密金属加工「ダイヤ精機」の2代目社長、諏訪貴子さん(49)は、父の突然の死に直面し、悩み抜いた末に主婦から社長に転身しました。しかし、その直後から取引先銀行から他社との合併を求められるなど、難しい判断を迫られます。貴子さんはどう難局を乗り切ったのでしょうか。銀行に「半年で結果を出す」と啖呵(たんか)を切った貴子さんの挑戦を追います。

私の家業ストーリー<4>

 2004年5月、父保雄さんの突然の死を受けて、貴子さんが社長に就任した頃、ダイヤ精機はバブル崩壊後の長引く景気低迷の影響で、売り上げが最盛期の約半分に落ち込んでいた。

 保雄さんの生前、経営立て直しを目指し、2度にわたりリストラを提案したことがあった。保雄さんはそのたびに貴子さんだけをリストラし、全社員の雇用を守り続けていた。

 2度目のリストラ提案から4年。ダイヤ精機の状況は変わっていなかった。売り上げに比して人員が多すぎたのだ。貴子さんは「まず、やるべきは経営の悪化を食い止めること。そのためにはコスト削減を避けては通れない」と社長就任から1週間で「リストラやむなし」との結論に達した。

 当時、社内は設計、製造、営業の3部門に分かれていた。その中でも設計部門は売り上げ規模が小さく、受注も伸びていなかった。そこで働くエンジニア3人の人件費を賄えているとは到底言えない状況だった。

 意識したのは「個人のリストラはしない」ということ。年齢、性別、能力を理由にしては、辞めていく人も納得できないだろう。部門のリストラであれ…

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永井大介

毎日みらい創造ラボ・アクセラレーター

 1975年神奈川県生まれ。住友銀行(現三井住友銀行)を経て2000年、毎日新聞社に入社。山形支局、東京社会部を経て、東京経済部で中央官庁や日銀、自動車、鉄道などを担当した。17年からベンチャー支援を行い、30社以上の立ち上げに関わったほか、毎日新聞社の新規事業創出も担っている。NEDO高度専門支援人材フェロー。実家は神奈川県厚木市の測量会社。