毎日家業×創業ラボ

父から託された「ものづくり」のバトン・諏訪さん

永井大介・毎日みらい創造ラボ・アクセラレーター
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ダイヤ精機の諏訪貴子さん=東京都大田区で、宮間俊樹撮影
ダイヤ精機の諏訪貴子さん=東京都大田区で、宮間俊樹撮影

 東京・大田の精密金属加工「ダイヤ精機」の2代目社長、諏訪貴子さん(49)は、父の突然の死に直面し、主婦から社長に転身しました。しかし、業績悪化の渦から抜け出すため、断腸の思いでリストラを敢行。主要取引先からの受注の急増という追い風もあり、急場を切り抜けました。連載の最終回は「私のやり方で変える」と実施した3年間の経営改革を追います。

私の家業ストーリー<5>

 「3年間の改革」と銘打った貴子さんは、1年目を「経営基盤の強化」にあて、2年目は「チャレンジ」、3年目には「維持・継続・発展」へと進む計画を描いた。「3年」にこだわったのは、経営改革にスピード感を持たせるため。加えて大学卒業後に入社したユニシアジェックス(現日立アステモ)時代の上司から、「『3』という数字は相手に印象として残りやすい」と教わっていたからだ。

 1年目の2004年。その頃、主要取引先である日産自動車は、カルロス・ゴーン氏が再建計画「日産リバイバルプラン」を完了させ、新車投入など攻勢に転じ、受注は大幅に増えていた。

 「受注急増は『神風』と言ってよかった。でも、そこに頼っていては何も変わらない。抜本的な改革で自分たちが変わる必要があった」。好不況の波に負けない会社に変えていく。そのためには、社員の意識改革が不可欠だった。

 大手企業には、新人や管理職への研修制度が整備されているが、町工場はそうではない。このため、貴子さんが講師役となって社員研修を始めた。まずは「あいさつの徹底」。職人の多い町工場は、口数が少なく、あ…

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永井大介

毎日みらい創造ラボ・アクセラレーター

 1975年神奈川県生まれ。住友銀行(現三井住友銀行)を経て2000年、毎日新聞社に入社。山形支局、東京社会部を経て、東京経済部で中央官庁や日銀、自動車、鉄道などを担当した。17年からベンチャー支援を行い、30社以上の立ち上げに関わったほか、毎日新聞社の新規事業創出も担っている。NEDO高度専門支援人材フェロー。実家は神奈川県厚木市の測量会社。