ベストセラーを歩く

直木賞「心淋し川」西條奈加が描く江戸庶民の喜怒哀楽

重里徹也・文芸評論家、聖徳大教授
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「心淋し川」で直木賞に選ばれた作家の西條奈加さん=東京都千代田区で2021年1月20日、須藤唯哉撮影
「心淋し川」で直木賞に選ばれた作家の西條奈加さん=東京都千代田区で2021年1月20日、須藤唯哉撮影

 ある限定された空間で人間模様を楽しむこと。時代小説の魅力は何といっても、それに尽きる。多くは江戸時代が舞台である。場所はいろいろだが、まあ、江戸の下町が選ばれることが多いだろう。庶民の暮らしが、人生の喜怒哀楽をにじませた物語でつづられる。

 人の世はなかなか、思うようにはならない。挫折や失敗もあれば、思わぬ落とし穴や運命の意外な急展開もある。そこで懸命に生きる暮らしもあれば、転落していく悲惨もある。そんなドラマが輪郭のはっきりとしたキャラクターと練られた文章で味わえる。読者には、良質な癒やしがもたらされる。

2005年に作家デビュー

 直木賞を受賞した西條奈加の「心淋し川(うらさびしがわ)」は心町(うらまち)と呼ばれる江戸・千駄木の町を舞台にしている。心淋し川と呼ばれる小さなドブ川が流れている。よどんだ汚い川だ。この川がそこで暮らす人々の心象風景になっている。社会の片隅で生きる人々の心の動きが共感とともにつづられていく。

 西條は1964年、北海道生まれ。高校卒業後に地元で製薬会社に就職したが、5年後に「手に職をつけよう」と東京の英語専門学校に入学。2年通った後、13年間、計三つの会社で貿易関係の仕事をした。このあたりの人生経験は後に文筆に転じた後、大いに養分になっているはずだ。

 「金春屋ゴメス」で日本ファンタジーノベル大賞を受賞して作家デビューしたのは2005年のこと。以降、時代小説だけではなく、現代物、近未来物も含めて、ファンタジー、人情物、シリアスな歴史小説と多彩な作風で活動してきた。

変化に富む人間模様

 今回の受賞作は六つの作品から構成される連作短編集。全編に顔を出すの…

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重里徹也

文芸評論家、聖徳大教授

1957年、大阪市生まれ。大阪外国語大(現・大阪大外国語学部)ロシア語学科卒。82年、毎日新聞に入社。東京本社学芸部長、論説委員などを歴任。2015年春から聖徳大教授。著書に「文学館への旅」(毎日新聞社)、共著に「村上春樹で世界を読む」(祥伝社) などがある。