
英投資ファンドによる買収提案をきっかけに辞任した東芝の車谷暢昭前社長。三井住友銀行副頭取から英投資ファンド日本法人会長を経て東芝に移った車谷氏は、就任から辞任までの3年間で東芝再建の役割をどこまで果たしたのか。「車谷体制の3年間」を振り返る。
車谷氏が東芝の会長兼最高経営責任者(CEO)に就任したのは2018年4月。このとき東芝は、米原発事業の破綻で1兆円を超す巨額損失が生じた後、半導体子会社・東芝メモリの経営権の売却などで債務超過を抜け出し、ようやく一息ついたところだった。
車谷氏に与えられた課題は二つ。一つは不正会計の発覚から続く混乱に終止符を打ち、経営への信頼を回復させること。もう一つは、稼ぎ頭の東芝メモリと成長分野の医療機器事業を売却しており、足もとの収益力を強化し将来の成長分野を見つけることだった。
本格的な収益回復の道筋を示せず
車谷氏が就任する直前の18年3月期は、売上高約4兆円、営業利益641億円となり、東芝は低収益に苦しんでいた。就任から半年余りたった18年11月に中期経営計画「東芝ネクストプラン」を発表した。
同プランでは、営業利益を19年3月期600億円、20年3月期1400億円と就任1、2年目は少しずつ回復させる道を描いた。そして22年3月期に2400億円、24年3月期に「3200億円以上」と、4年目以降に急回復させる目標を示した。
現実はどうだったか。19年3月期の営業利益は354億円、コロナの影響が一部出た20年3月期は1305億円と、目標をやや下回った。目標数値を高く設定しておらず、大幅に落ち込んだとは言えない微妙な水準だった。車谷氏は20年1…
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