毎日家業×創業ラボ

近所のお豆腐屋さんを継ぐ?ヤンチャな「婿殿」の跳躍

清水憲司・毎日新聞経済部副部長(前ワシントン特派員)
  • 文字
  • 印刷
できたての豆腐を手にする染野屋の小野篤人社長=茨城県取手市で小川昌宏撮影
できたての豆腐を手にする染野屋の小野篤人社長=茨城県取手市で小川昌宏撮影

 茨城・取手を本拠地に、お豆腐を製造・販売する「染野屋」は、江戸時代末期の文久2(1862)年に創業し、160年近い歴史を誇る老舗です。八代目「染野屋半次郎」を襲名した社長の小野篤人さん(48)は、実はお婿さん。結婚するまでお豆腐屋さんを継ぐなんて、考えたこともありませんでした。ありふれた「近所のお豆腐屋さん」を飛躍させた小野さんの歩みを報告します。

私の家業ストーリー<1>染野屋・小野篤人さん

 小野さんは幼い頃、東京のベッドタウンである茨城県取手市に引っ越してきた。大手電機メーカーの研究員だった父親の転勤が理由だった。

 小学校の頃は、いじめとイタズラで学校に呼び出しをくらう典型的な「問題児」。高校に入ると、プロボクサーを養成するボクシングジムに通った。今思えば、ありあまるエネルギーを持て余していた。

 いつしか「自分の力で生きていきたい」と思うようになっていた。東京の大学に進学が決まり、1人暮らしが始まる。「バイト6割、学業3割、遊びがちょっと」の大学生活。家庭教師やピザの配達員もやったが、土木工事のアルバイトに好んで通った。体を動かすのが好きだったこともあるが、1日でしっかり稼げることが大きかった。生活費に加えて、あこがれだったカワサキの大型バイク「エリミネーター900」を手に入れ、維持費に月5万円が必要だった。

 バイトを通して、少しずつ社会の厳しさに触れる中で、「実業家になりたい」という気持ちが芽生えてきた。自由に、そして自立して生きる。誰かの言いなりになるのではなく、自分の足で立つ。それを実現する道だと思えた。「自由と自立」は、その後も小野さんの考え方の背骨になった。

まさかの「豆腐屋を継いでくれ」義父の願い

 実業家という夢は固まったものの、起業するには資金が足りなかったため、大学卒業後はひとまず就職することにした。1993年、就職先に選んだのは、大手商社系のリー…

この記事は有料記事です。

残り2036文字(全文2832文字)

清水憲司

毎日新聞経済部副部長(前ワシントン特派員)

 1975年、宮城県生まれ。高校時代まで長野県で過ごし、東京大学文学部を卒業後、99年毎日新聞社に入社。前橋支局を経て、東京経済部で流通・商社、金融庁、財務省、日銀、エネルギー・東京電力などを担当した。2014~18年には北米総局(ワシントン)で、米国経済や企業動向のほか、通商問題などオバマ、トランプ両政権の経済政策を取材した。