毎日家業×創業ラボ

「50歳差の親友」がくれた歴史を背負う決意

清水憲司・毎日新聞経済部副部長(前ワシントン特派員)
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かつて豆腐の販売で使われていたおけを肩に乗せ、ポーズをとる染野屋の小野篤人社長=茨城県取手市で、小川昌宏撮影
かつて豆腐の販売で使われていたおけを肩に乗せ、ポーズをとる染野屋の小野篤人社長=茨城県取手市で、小川昌宏撮影

 茨城・取手を本拠地に、お豆腐を製造・販売する「染野屋」を継いだ小野篤人さん(48)。国産大豆を使い、お客さんに手渡しで売る移動販売をテコに、「近所のお豆腐屋さん」を大きく飛躍させます。販売増を目指して走り回る小野さんでしたが、人生の針路を変える出会いが訪れます。連載2回目は、50歳以上も年の離れた「親友」との衝突と別れを描きます。

私の家業ストーリー<2>染野屋・小野篤人さん

 「実業家になりたい」という夢を持っていたものの、結婚をきっかけに、妻の実家である「近所のお豆腐屋さん」を継ぐことになった小野さん。予想もしていない展開だったが、「一国一城のあるじになれる」と思い切った。

 しかし、継いだばかりの頃の売上高は年間300万円。それから5年がたち、移動販売を口コミで広げて、じりじりと売り上げを伸ばしたが、家族の生活を支えるには不安だったから、輸入雑貨のインターネット通販の仕事も続けていた。むしろ、心の中では「ネット通販がメインで、お豆腐屋さんはサブ」だった。

 新生・染野屋の立ち上げを、収入面で支えていたネット通販の仕事をやめると決めたのは、一冊の本がきっかけだった。「ユダヤ人大富豪の教え」(大和書房刊)。ユダヤ人大富豪が、「自分が何をやりたいのかよく分からない」と悩む日本人青年と語り合う内容だ。その本から、こんなメッセージを受け取った。「自分が本当にやりたいことを見つける最良の方法は、今やっていることを愛すること。そうすれば、自分の道が見つかる」というものだった。

「二足のわらじ」を脱ぐ……選んだのは豆腐店

 通販事業と豆腐店の「二足のわらじ」。自分が愛せると思ったのは自然と、染野屋の方だった。2004年、通販の仕事はやめ、染野屋に専念すると決めた。

 まずは目立つ場所に、店…

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清水憲司

毎日新聞経済部副部長(前ワシントン特派員)

 1975年、宮城県生まれ。高校時代まで長野県で過ごし、東京大学文学部を卒業後、99年毎日新聞社に入社。前橋支局を経て、東京経済部で流通・商社、金融庁、財務省、日銀、エネルギー・東京電力などを担当した。2014~18年には北米総局(ワシントン)で、米国経済や企業動向のほか、通商問題などオバマ、トランプ両政権の経済政策を取材した。