毎日家業×創業ラボ

“一匹オオカミ連合”経営危機で見えた「本当の力」

清水憲司・毎日新聞経済部副部長(前ワシントン特派員)
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本店の工場を見て回る染野屋の小野篤人社長(右)=茨城県取手市で、小川昌宏撮影
本店の工場を見て回る染野屋の小野篤人社長(右)=茨城県取手市で、小川昌宏撮影

 茨城・取手を本拠地に、お豆腐を製造・販売する「染野屋」を継いだ小野篤人さん(48)は、後継者不在だった本家の「半次郎商店」も承継し、ヤンチャな社員たちを率いて売り上げをぐんぐん伸ばしていきます。しかし、「優等生企業」になることを目指した頃から歯車が狂い始め、経営破綻の淵をのぞくことになります。

私の家業ストーリー<3>染野屋・小野篤人さん

 江戸時代から続く本家筋の「半次郎商店」の工場を借り受け、生産力を大きく拡大した2004年。小野さんはそれまでの5年間、自分一人でやってきた移動販売を増強すると決めた。工場の費用を賄うには売り上げを伸ばす必要があったからだが、店舗の開設ではなく、移動販売の増強を選んだのは、自ら作った商品を、お客さんの顔を見て、手渡しで売っていく方法にほれ込んだことが大きかった。

 実は、本家工場を使い始めた頃、一時的にお豆腐の味が落ちてしまった。豆腐作りは、大豆の炊き上げ方が命だ。当然ながら、本家工場の釜は、それまで妻の実家「染野屋」で使っていた釜とは違う。大豆の甘さを引き出す炊き上げ方を改めて習得しないといけなかった。

 そのコツをつかむのに時間がかかる中でも、移動販売のお客さんは「釜が変わったら、味が落ちても仕方ない。応援してるわよ」「早くおいしいお豆腐にしてね」と待ち続けてくれた。「移動販売こそが染野屋だ」と思うようになった。

 移動販売の軽トラを初年度に4台、翌年度には10台超と増やしていったが、「毎月のようにパトカーのお世話になった」。社員のなかには「電卓を使ったことがない…

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清水憲司

毎日新聞経済部副部長(前ワシントン特派員)

 1975年、宮城県生まれ。高校時代まで長野県で過ごし、東京大学文学部を卒業後、99年毎日新聞社に入社。前橋支局を経て、東京経済部で流通・商社、金融庁、財務省、日銀、エネルギー・東京電力などを担当した。2014~18年には北米総局(ワシントン)で、米国経済や企業動向のほか、通商問題などオバマ、トランプ両政権の経済政策を取材した。