経済記者「一線リポート」

パナソニックは何の会社?最後の会見で消えた言葉

井口彩・大阪本社経済部記者
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社長交代の記者会見後、握手するパナソニックの津賀一宏社長(左)と次期社長の楠見雄規常務執行役員=大阪市中央区で2020年11月13日、久保玲撮影
社長交代の記者会見後、握手するパナソニックの津賀一宏社長(左)と次期社長の楠見雄規常務執行役員=大阪市中央区で2020年11月13日、久保玲撮影

 パナソニックは何の会社か――。一般の消費者からするとエアコンや冷蔵庫などの家電がすぐに思い浮かぶが、津賀一宏社長(64)は2012年の就任以来、家電頼みからの脱却を模索し続けてきた。では何の会社を目指すのか。創業100周年を迎えた18年。津賀氏はその答えを大々的に発表したが、今年5月に社長として臨んだ最後の記者会見で言及はなかった。津賀氏の打ち出した答えはどこに行ったのか。それを追いかけるうちに“漂流”しつつあるパナソニックの現状が見えてきた。【毎日新聞大阪経済部・井口彩】

 パナソニックは、創業者の松下幸之助氏が1918年、大阪市に「松下電気器具製作所」を設立したのが始まり。配線器具や電球のソケットを分岐させる「二股ソケット」の生産に着手し、一代で松下電器産業(現パナソニック)を世界的な家電メーカーに育て上げた。「経営の神様」として知られる。

 記者は今年4月に毎日新聞新潟支局から大阪経済部に異動となり、初めてパナソニックを担当することになった。驚いたのは、今でも同社の資料を見ると幸之助氏の言葉が随所にちりばめられていることだ。記者にとって経営の神様は生まれるより前の89年に亡くなった「昭和の偉人」。まずは創業者の足跡を知るため大阪府門真市の本社敷地内にあるパナソニックミュージアムを訪ねようとした。しかし残念ながら新型コロナウイルス禍で臨時休業中。そこで、幸之助氏が全国に築いた系列販売店網「パナソニックショップ(旧ナショナルショップ)」の一つを訪ねた。

全国1万5000の販売店網

 京都府宇治市の住宅街にある電器店「てくのハウスMAKINO宇治本店」。明るい店内に、パナソニックブランドのエアコンやテレビ、冷蔵庫、空気清浄機など数百種類の商品が並ぶ。「テレビは常につけておくようにしているんです。暗い店には誰も入ろうとしないでしょう」。76年に開業し、現在4店舗を経営する牧野伸彦会長(74)は笑顔で話した。社長に就任したばかりの津賀氏があいさつに訪れた優良店。牧野会長は「一商人」たる心構えを説いた幸之助氏の言葉で津賀氏を激励したと明かしてくれた。記者は「ここでも幸之助氏の精神が生きているのか」と実感した。

 パナソニックショップは、顧客サービス重視の「街の電器屋さん」としてパナソニックの家電販売を担い、最盛期の80年代前半には2万7000店に上った。しかし80年代後半から家電量販店が台頭、現在は約1万5000店まで減った。それでも牧野さんは「家電の困りごとは生活に直結している。大もうけはできひんけれども、きっちりやることをやれば確実にお客さんはついてくる」と、この仕事の意義を語る。そして「パナソニックは家電を忘れたらあかんで」と強調した。電機業界を初めて担当することになった記者もパナソニックは「身の回りのありとあらゆる家電を作っている会社」という漠然としたイメージがあった。でも、そもそもパナソニックはどんな事業をしているのか。

 AP、LS、CNS――。…

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井口彩

大阪本社経済部記者

 2017年毎日新聞社入社。新潟支局を経て2021年4月から大阪本社経済部。埼玉県出身。