藻谷浩介の世界「来た・見た・考えた」

トルコ首都アンカラ ローマ人と遊牧民が行き交った地

藻谷浩介・地域エコノミスト
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アンカラ城から眺めたアンカラ市街=筆者撮影
アンカラ城から眺めたアンカラ市街=筆者撮影

トルコ・アンカラ編(1)

 2019年5月、トルコの首都アンカラに1晩だけ泊まった。本来の目的地はイスラエルで、金曜日から月曜日まで4泊するつもりだったが、金曜日の日没から土曜日の日没まではユダヤ教の安息日であり、公共交通機関は止まり飲食店も閉まるというので、アンカラまで避難して来たのだ(「イスラエル・テルアビブへ“杞憂”に終わった入国審査」参照)。

空港から都心までにうねる丘の草原

 「トルコのアンパン、中はカラ」というのは、筆者が小学生時代に考えた、首都の名前を覚える歌のワンフレーズである。だがどんな場所なのか、当時は何のイメージもなかった。

 しかし数年前、「モンゴル高原から、中央アジアをへてアンカラのあるアナトリア半島までは、乾燥した草原地帯が続き、近代以前は遊牧民が簡単に移動できた」と、ある碩学から聞いて、「アンカラ周辺は本当に草原なのか」という、他の人なら興味のなさそうなことに、関心が湧いてきたのである。

 アンカラ空港から30キロほど南の都心に向かう空港バスは、片道200円と格安だった。その前半の車窓に見えたのは確かに、うねる丘の上に草原が続く景色である。

 トルコ人の先祖は、中国の唐代に突厥(とっけつ)と呼ばれた、モンゴル高原の遊牧民だ。それが草原伝いに西へ移動し、11世紀に今のトルクメニスタンあたりからアナトリア半島に進出した(「トルコ系東端の国『キルギス』緑多い首都ビシケク」参照)。だからトルコ語は文法面で、モンゴル語、韓国語、そして日本語とも類似点が多いと聞く。

 13世紀には、同じ道を通って来たモンゴル人が世界帝国を建設。彼らが退潮した14世紀には、トルコ系の…

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藻谷浩介

地域エコノミスト

1964年山口県生まれ。平成大合併前の約3200市町村のすべて、海外114カ国を私費で訪問し、地域特性を多面的に把握する。2000年ごろから地域振興や人口問題に関して精力的に研究、執筆、講演を行う。著書に「デフレの正体」「里山資本主義」ほか多数。国内の鉄道(鉄軌道)全線を完乗した鉄道マニアでもある。