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脱炭素が「エネルギー危機とインフレ招く」は本当か

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エネルギー価格上昇でインフレ襲来の恐怖

 国際エネルギー機関(IEA)が5月18日に発表した脱炭素実現への行程表を示したリポートが物議を醸している。2050年までに二酸化炭素(CO2)など温室効果ガス(GHG)の排出を実質ゼロにする「カーボンニュートラル」(炭素中立)を実現するためには、世界各地の「石油や天然ガスを採掘する新規開発投資を中止すべきだ」と呼びかけているからだ。これに2大産油国の閣僚がかみついた。(脱炭素の落とし穴 特集はこちら)

 ロシアのノバク副首相は、第二の都市サンクトペテルブルクで開かれた6月3日の会合で、「原油への新規投資を中止すれば、原油価格は(1バレル=)200ドルを超えるだろう」と述べた。原油価格の国際指標であるWTI原油先物は昨年4月、新型コロナウイルス禍の需要急減を受けて一時、マイナス価格を付ける異常事態となったが、足元では1バレル=73ドル台へと上昇。このまま脱炭素へ突き進めば、08年7月の史上最高値147ドルを一気に突き抜けるとの警告だ。

 OPEC(石油輸出国機構)の盟主であるサウジアラビアのアブドルアジズ・エネルギー相も6月1日、同リポートについて、「映画『ラ・ラ・ランド』の続編だろう」とジョークを飛ばした。ハリウッドを舞台にした米ミュージカル映画が描いた「夢を追う男女」に例えて、新規投資の中止は現実離れしているとの皮肉を込めたコメントだ。

 エネルギー市場に詳しい独立行政法人経済産業研究所の藤和彦コンサルティング・フェローは、「IEAはコロナ禍以前に、近年は原油への投資が不足しており、投資を増やす必要性を強調していた。ところが、5月に発表したリポートは、従来の考えとは正反対のことを述べている。新規開発投資を抑制する状況を放置すれば、世界全体でエネルギー危機が起こりかねない」と懸念を示す。

銅は史上最高値記録

 IEAのリポートでは、50年時点でのカーボンニュートラル達成の道筋として、石油・ガスの新規投資停止のほか、35年にエンジン車の新車販売停止に加え、太陽光と風力を中心に再生可能エネルギーの導入拡大で世界の電力供給の88%を賄うことを描いている(図)。その途上の30年には、太陽光と風力の比率を40%とし、20年実績(9%)の4倍以上に引き上げるという内容だ。

 英調査会社IHSマークイットによると、20年に世界で販売された電気自動車(EV)は約300万台。前年比で41%増えているが、世界全体に占める新車販売の4・6%にとどまる。つまり、IEAのリポートは、残りの95%を占める内燃機関で走行する車を15年足らずで販売中止し、風力と太陽光で世界の電力供給の4割を賄うことを呼びかけており、世界の産業構造や社会インフラを抜本的に作り替えない限り、達成は到底望めない。

 急速に進む脱炭素化の流れに対し今、高まっているのがインフレへの懸念だ。世界最大の米資産運用会社ブラックロックのローレンス・フィンク最高経営責任者(CEO)は今年6月、オンラインで開かれた金融セミナーで「グリーン社会を実現することが我々の(気候変動問題の)解決策だとすれば、インフレはずっと加速し、いずれ大きな政治問題になるだろう。これをすべて全うする技術を我々はまだ持たないからだ」と述べた。

 足元では原油をはじめ資源や穀物価格が急騰しているが、新型コロナウイルス禍からの需要急回復だけが要因ではないだろう。石油代替のバイオ燃料ともなるトウモロコシ価格は現在、昨年6月末に比べ71%も上昇し、大豆価格も52%上がった。また、出力が変動する太陽光や風力を大規模に導入するためには、銅が原料となる送配電網の増強が必要だが、銅の国際指標価格となるロンドン金属取引所(LME)の銅3カ月先物は今年5月、一時1トン=1万250ドルを付け、過去最高値を更新した。

 菅義偉首相が昨年10月、50年のカーボンニュートラル達成を表明した日本。将来の電源構成を議論する資源エネルギー庁の総合資源エネルギー調査会基本政策分科会で今年5月、50年に再エネを100%導入した場合、発電コストが1キロワット時当たり現行の13円程度から53・4円と、4倍にはね上がる試算がある研究機関から提示され、波紋を広げている。

 この試算に関連して、河野太郎行政改革担当相は6月3日、再エネ推進のための有識者会議に出席。再エネを最優先すべきとする出席委員に対して経済産業省幹部が「慎重な議論が必要」などと反論すると、河野氏が「経産省は言葉遊びをやめろ」と語気を強めて叱責する場面があった。閣内にいる間は持論の脱原発を封印している河野氏だが、原発復権と再エネ抑制の本音を隠さない経産省との軋轢(あつれき)が強まっている。

 再エネ推進団体の関係者からも、この試算に対して「極端だ」との指摘も出ている。ただ、原発復権の思惑は別としても、再エネの導入拡大で電気料金にさらなる上昇圧力がかかることは否めない。実際、再エネ電力の固定価格買い取り制度(FIT)に基づく家計負担は年々増加しており、経産省の今年3月の発表によれば、FITに基づく家計負担は今年度、標準世帯で1万476円と初めて1万円を突破する見込みだ。そして、こうした電気料金の上昇は、低所得の世帯ほど被る影響が大きくなる。

定まらない電源構成

 菅首相は4月下旬、バイデン米大統領が主導した「気候変動サミット」で、30年度時点でGHGを13年度比46%削減すると表明し、国際社会への「公約」を示した。また、6月には税財政と経済運営の基本方針「骨太の方針」とともに、昨年末に打ち出した脱炭素実現の実行計画「グリーン成長戦略」の改定版を発表し、成長戦略実現による50年時点の経済効果を昨年末の190兆円から290兆円に上方修正した。

 とはいえ、肝心の30年時点での電源構成が定まっておらず、30年時点で26%減だった従来目標からの削減幅を20%追加する方策のメドは立っていない。また、国のエネルギー政策の方向性や将来の電源構成比について、おおよそ3年ごとに見直している「エネルギー基本計画」についても、現行の第5次計画を今年夏に改定する予定だったが、議論の難航によって秋以降に先送りが確実視される。

 世界最高水準の環境性能と発電効率を誇るとされる日本の石炭火力技術。11年の福島第1原発事故後、原発が次々と稼働停止する中で、石炭火力は日本の基幹電源となっており、19年度実績でも3割超を占めている。石炭は埋蔵量も豊富で他の資源に比べて安価だが、石炭火力は運転時に他の化石燃料に比べGHG排出量が多く、風当たりがかつてないほど強まっている。

 英コーンウォールで今年6月に開催されたG7(先進7カ国)首脳会議。G7として初めてGHG排出量を30年までに10年比でほぼ半減させることで一致し、国外の石炭火力発電事業について新規の公的支援を年内に終わらせることでも合意した。日本はそれまで、高効率の石炭火力に限り輸出を継続する方針だったが、小泉進次郎環境相はG7サミットの合意上「認められないというのは明確だ」と述べ、今年11月の国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)までに見直す姿勢を示した。

目標未達で金銭負担?

脱炭素でインフレが襲う?(千葉県内のスーパー) (Bloomberg)
脱炭素でインフレが襲う?(千葉県内のスーパー) (Bloomberg)

 石炭火力を手掛ける企業や投融資する金融機関への圧力も高まっている。住友商事が今年6月18日に開いた株主総会では、豪州の環境NGO(非政府組織)から気候変動対策を強化する定款変更の株主提案があり、提案は否決されたものの20%の賛同を集めた。別のNGOの株主は、住商がバングラデシュで計画する石炭火力の建設をただし、同社の役員は「(世界の気候変動対策をルール化した15年の)パリ協定に整合しない場合は参加しない」と回答したという。

 また、三菱UFJフィナンシャル・グループ(FG)が今年4月、三井住友FGが5月に、石炭火力の新設・拡張案件への融資を6月から停止するとそれぞれ発表。みずほFGも5月に石炭火力の新設・拡張への投融資を厳格化すると発表した。しかし、石炭火力の輸出支援や新設・拡張の動きが一斉に止まれば、日本がこれまで積み上げてきた高効率な石炭火力の技術開発も途絶えてしまうのは必至。結果として電気料金が上昇すれば、産業の空洞化を招く恐れもあり、日本の競争力や地域の雇用にも悪影響が及びかねない。

 不透明感が濃い日本の30年時点のGHG削減目標。エネルギー専門家からは「欧米諸国は日本の削減目標が未達成だった場合、排出権取引などを通じて金銭的に負担させようと狙っている」との声が聞こえる。IEAは40年時点でCO2削減コストを1トン当たり140ドル(約1万5000円)と試算する。30年時点で日本の削減実績が目標に比べ10%不足(約1・24億トン)した場合、1兆8000億円程度の負担が発生する計算で、消費税1%分の税収(約2兆7000億円)の3分2に相当する。仮にそうした負担が生じれば、引き受けるのは我々だ。

(浜田健太郎・編集部)

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