毎日家業×創業ラボ

会社を継ぐのは「三女の私」? 父の死と巡る運命

清水憲司・毎日新聞経済部副部長(前ワシントン特派員)
  • 文字
  • 印刷
「ファイン」の清水直子社長=東京都品川区で、内藤絵美撮影
「ファイン」の清水直子社長=東京都品川区で、内藤絵美撮影

 竹からできた生分解性樹脂の歯ブラシに、幼児やお年寄りでも使いやすいユニバーサルデザインのコップ。ユニークな商品を世に送り出す東京・品川の「ファイン」の清水直子社長(53)は、何年も「自分は経営者になれるのかな」と悩みました。思ってもみない事態の積み重ねで自分に巡ってきた後継者という仕事。清水さんは壁をどう乗り越え、自分だけの経営スタイルをつかんだのでしょう。その歩みを追いかけます。

私の家業ストーリー<1>ファイン・清水直子社長

 「はい、ファインでございます」。小学校の頃から、自宅に引かれた会社の電話を取るのが日課だった。

 父と母が切り盛りする会社が1階と2階で、自宅は3階と4階。3人姉妹の三女である直子さんも、会社にどんな商品があり、どんな取引先があるのか、自然に覚えていった。タイピングが好きだったから会社のワープロをいじったり、季節のセール品の出荷準備となれば社員と一緒に荷物を詰めたり。会社は「好きとか嫌い」という以前に、生活に溶け込んだ存在だった。

 ファインは、戦後間もなく大叔父が創業したろうそくメーカーから、父益男さんが1973年に歯ブラシ部門を独立させて設立した。母和恵さんが、銀行に勤務した経験を生かして経理を取り仕切った。

 直子さんが中学、高校時代を過ごした80年代は、バブル景気のまっただ中。ファインの売り上げは伸び続けたが、いつも朗らかで近所に笑顔を振りまく益男さんが、食卓ではよく難しい顔をしていたのを覚えている。

 歯ブラシは多くの場合、薄利多売で資材も大量に抱えないといけなかった。だから、いつも資金繰りが苦しく、銀行通いが必要だったのだ。

貿易会社に就職「海外に!」一転、泣く泣く親元に

 父益男さんは、何かと機転の利く次女に「継ぐならお前が継げ」と言っていた。だから、三女の直子さんは「自分が会社を継ぐ」なんて思いもしなかった。

 ジェームズ・ディーンの映画の…

この記事は有料記事です。

残り2278文字(全文3075文字)

清水憲司

毎日新聞経済部副部長(前ワシントン特派員)

 1975年、宮城県生まれ。高校時代まで長野県で過ごし、東京大学文学部を卒業後、99年毎日新聞社に入社。前橋支局を経て、東京経済部で流通・商社、金融庁、財務省、日銀、エネルギー・東京電力などを担当した。2014~18年には北米総局(ワシントン)で、米国経済や企業動向のほか、通商問題などオバマ、トランプ両政権の経済政策を取材した。