
アジアのメガシティーこぼれ話編(3)
前評判通り日本のメダルラッシュとなった東京五輪。人口が2億人を超える7カ国の中では唯一、パキスタンだけがメダルなしに終わった。それを知った筆者の脳裏には、同国に2泊した際に感じた、この国の成り立ちから現在に至るまでの難しい状況と、これまでの海外旅行で最も残念な経験がよみがえってきたのである。
日本から行くルートは限られる
2020年3月中旬。筆者のコロナ禍前の最後の海外旅行の行き先は、パキスタンの最大都市カラチだった。当初、エジプトとキプロス行きを計画していたが、経由地にしていたイスラエルが日本人の入国を制限したために断念。当時まだ、毎日の感染者数が1ケタで旅行に制限のなかったパキスタンに、バンコク乗り換えで往復したのだ。
パキスタンのビザは東京都内の大使館で、なんと100円で取得できた。しかし日本を含むアジアの東半分からの直行便は、北京とバンコクからしか出ていない。シンガポールや香港からも、長大な国境を接するインドとの間にも便がない。
頻繁に運航があるのは、カラチから飛行機で2時間程度の、ペルシャ湾岸の諸都市との間だ。インダス川流域平野の農業生産力のおかげで、2億人を超える人口を持ちながら、工業その他は未発達。最大の外貨獲得手段は、同じムスリムのアラブ諸国への単純労働者供給である。英国からの独立の際にインドから分離した国で、カレー中心の食文化はインドと同じであり、公用語のウルドゥー語もヒンディー語の親戚だが、経済圏は西アジアなのだ。
国立博物館のインダス文明展示に不満
合計12時間の乗機で着いた深夜のカラチ空港から、都心のホテルま…
この記事は有料記事です。
残り2490文字(全文3184文字)
投稿にはログインが必要です。
注目コンテンツ