毎日家業×創業ラボ

「でかい仕事をしろ」伯父がくれた一生に一度の言葉

清水憲司・毎日新聞経済部副部長(前ワシントン特派員)
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本多プラスの本多孝充社長=同社提供
本多プラスの本多孝充社長=同社提供

 愛知・新城の「本多プラス」の本多孝充社長(52)は、父親から引き継いだプラスチック成形会社を、「デザイン×ものづくり」の会社へと変貌させました。アートという「自分の好きなこと」を軸に会社を作り替え、コスメペン「ハイテックC リッシュ」や携帯用「アジパンダ」のようなデザイン性の高い製品で、下請けの多いプラスチック業界に新風を巻き起こしてきた本多さん。「きれいなものをつくりたい」。そんな思いに突き動かされるアートな経営者の歩みを追いかけます。

私の家業ストーリー<1>本多プラス・本多孝充さん

 本多家は古くから奥三河の名家として知られた。戦前、みそやしょうゆの醸造業を継いだ祖父の正造さんは、田舎のでこぼこ道をT型フォードで走り回る、絵に描いたような御曹司だった。ところが、お家騒動の末、実家を追われて海外移住を決意。台湾に拠点を定めると、紅茶をしけらせずに輸送するため、内側をアルミ箔、外装はセロハンにした「プライニング包装」を発案し、一大事業に発展させた。

 敗戦後の混乱ですべてを失い、焼け野原になった日本に帰ってきた正造さんは、新城で、生涯三つ目の事業となる「本多セロファン工業所」(現在の本多プラス)を立ち上げて再起を遂げた。セロハンを巻き付けて透明な筆のサヤをつくる事業で、息子4人を育て上げた。

 息子たちも多才だった。浜松工業専門学校に進んだ長男の敬介さんは、超音波機器の本多電子(愛知県豊橋市)を創業。次男と三男は日本画家、グラフィックデザイナーになり、孝充さんの父である四男の克弘さんが家業を引き継いだ。

 1960年代に、筆サヤの製造にプラスチック成形技術を導入して機械化を進めると、本多プラスは80年代にナイロン製の修正液ボトルの量産に成功して業容を拡大。次男と三男だけでなく、長男の敬介さんや四男の克弘さんも、事業家でありながら、絵画をたしなむ芸術一家だった。

 そんな祖父母や父母、伯父たちに囲まれて育ったから、孝充さんにとって、事業もアートも身近な存在だったが、幼い頃は野生児そのものだった。

 目の前に広がる田んぼと山と川。泥まみれになってクワガタやザリガニを捕り、谷あいを流れる豊川で泳いだ。河原に隠してある釣りざおで魚を釣っては、その場で焼いて食べた。

 子ども心に思った。自分が今、豊川に投げ込んだ木片は、やがて海に流れ出るのだろう。この山の向こうには、浜松があって、その先には東京がある。広い世界を知りたい。そんな思いが宿っていた。

 アート家系の血が騒いだのかもしれない。高校時代はロックバンドに没頭…

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清水憲司

毎日新聞経済部副部長(前ワシントン特派員)

 1975年、宮城県生まれ。高校時代まで長野県で過ごし、東京大学文学部を卒業後、99年毎日新聞社に入社。前橋支局を経て、東京経済部で流通・商社、金融庁、財務省、日銀、エネルギー・東京電力などを担当した。2014~18年には北米総局(ワシントン)で、米国経済や企業動向のほか、通商問題などオバマ、トランプ両政権の経済政策を取材した。