
内田社長に聞く「日産のこれから」(4)
日産自動車の内田誠社長兼最高経営責任者(CEO)へのインタビューの最終回は、内田社長が商社マンから日産に転じた理由やクルマに対する思いを聞いた。自宅に初代リーフを所有するという内田社長だが、それに乗る暇がないほど休日に自ら課している“ある取り組み”とは?【聞き手は経済プレミア編集長・川口雅浩、経済部・杉山雄飛】
――内田社長は2003年、当時の日商岩井(現双日)から30代で日産に移ったと聞いています。商社マンから日産に転じた理由は何ですか。
◆もともとグローバルな仕事がしたくて総合商社に入りました。フィリピン駐在時代に三菱自動車に出向し、自動車の仕事に少し携わりました。
当時は商社の付加価値が問われる時代でした。そんな中で、もっとグローバルな仕事がしたいと思い、もう1回何かやるなら自動車関係をやってみたいと、門をたたいたのが日産でした。
――日産のどこに魅力を感じたのですか。
◆日産がルノーと協業を始め、ダイナミックに動いていることもありました。グローバルでダイバーシティー(多様性)に富んだ会社だと思いました。ヘッドハンティングではなく、一般公募です。海外の自動車メーカーも受けましたが、日本メーカーでは日産だけだったと思います。
――実際に入社してみて、いかがでしたか。
◆商社では課長代理だったんですが、そこから一般公募で入ったものですから、それこそ一から仕事を覚えなくてはなりませんでした。購買部門に入ったのですが、「ここで頑張らないと自分は一生ないな」という気持ちになり、必死に頑張りました。
――もともと自動車は好きだったんですか。
◆好きでしたね。当時…
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川口雅浩
経済プレミア編集部
1964年生まれ。上智大ドイツ文学科卒。毎日新聞経済部で財務、経済産業、国土交通など中央官庁や日銀、金融業界、財界などを幅広く取材。共著に「破綻 北海道が凍てついた日々」(毎日新聞社)、「日本の技術は世界一」(新潮文庫)など。財政・金融のほか、原発や再生可能エネルギーなど環境エネルギー政策がライフワーク。19年5月から経済プレミア編集部。