経済プレミアインタビュー

木内登英氏「9.11の惨事から私はフェリーで避難した」

平野純一・経済プレミア編集部
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2機目が突っ込み、炎を上げる世界貿易センタービル=2001年9月11日、AP
2機目が突っ込み、炎を上げる世界貿易センタービル=2001年9月11日、AP

「9.11から20年」木内登英さんに聞く(中)

 日銀審議委員を務めた野村総合研究所の木内登英エグゼクティブ・エコノミストは、2001年9月11日の米同時多発テロ(9.11)をニューヨークの世界貿易センター(WTC)ビル近くのオフィスで経験した。どのようにして避難したのか、また海外駐在の経験がその後の経済分析に生きている点などを聞いた。【聞き手は経済プレミア編集部・平野純一】

 --WTCの崩壊後、木内さんは何とか避難できて、フェリーで自宅に向かうことができました。

 ◆木内登英さん フェリーはマンハッタンの南端を回り、ハドソン川を北上して、自宅の方に向かいました。フェリーから見た景色は、ニューヨークの象徴だったWTCのツインタワーが完全になくなり、もうもうと煙が上がっている、昨日までと一変した姿でした。

 WTCは仕事で頻繁に行っていた場所ですし、地下には大きなショッピングセンターもあり、よく利用していました。私の生活圏内にある場所がいま地獄絵になっている。「あそこからどれだけの人が避難できただろうか」。そんなことを考えながら、ただぼうぜんと眺めるばかりでした。

 --ご家族とはすぐに連絡は取れたのですか。

 ◆妻と連絡が取れたのは、家にたどり着いた時です。当時私は携帯電話を持っておらず、途中で家に電話を掛けることができませんでした。フェリーも、事件の影響か、いつもの乗り場とは別の場所に着いたので、そこからバスを乗り継いで自宅に帰るのに、相当時間がかかりました。普段の通勤は1時間弱ですが、その日は3~4時間かかったのではないでしょうか。事件後はノキアの携帯電話をすぐに買いました。

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平野純一

経済プレミア編集部

1962年生まれ。87年毎日新聞社入社。盛岡支局、サンデー毎日編集部、経済部、エコノミスト編集部などを経て2016年から現職。金融、為替、証券、マクロ経済などを中心に取材。