経済プレミアインタビュー

木内登英氏「日銀時代はリフレ派との戦いだった」

平野純一・経済プレミア編集部
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オンラインでインタビューに答える木内登英さん
オンラインでインタビューに答える木内登英さん

「9.11から20年」木内登英さんに聞く(下)

 日銀審議委員を務めた野村総合研究所の木内登英エグゼクティブ・エコノミストは、2001年9月11日の米同時多発テロ(9.11)を現地で経験した。インタビューの3回目は、帰国後に就いた日銀審議委員時代のことや、新型コロナが経済に与える影響などについて聞いた。【聞き手は経済プレミア編集部・平野純一】

 --ドイツのフランクフルト、米ニューヨークでの勤務後に日本に戻ってからは日本経済担当になり、日銀審議委員も務めました。

 ◆木内登英さん 02年に日本に戻り、日本経済の担当になりました。仕事は順調でしたが、もっと広く世の中の人の役に立ちたいと思っていたところに、日銀審議委員の話をいただいたので、お引き受けしました。

 --白川方明総裁の最後のころですね。

 ◆はい。私は12年7月に就任し、白川総裁は13年3月まででした。私は最初のころは「日銀は金融緩和の姿勢をより明確にすべきだ」などと述べ、委員の中でも緩和に積極的だったと思います。

立ち位置が「タカ派」に変わっていった

 --12年12月に安倍晋三政権になり、日銀総裁も黒田東彦氏に代わりました。

 ◆私は絶対基準では緩和推進派だと思うのですが、周りの政策委員会のメンバーがどんどん、いわゆる「リフレ派」と呼ばれる人に代わるので、相対的な立ち位置では「タカ派」になっていったように思います。

 黒田総裁の政策は当初はうまくいったように見えました。円安が進み、株価が上がり、物価も上昇しました。ただ、後から振り返ると、結局は円安が進んだので、一時的に物価が上がっただけという感じでした。米国は過去最長の景気…

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平野純一

経済プレミア編集部

1962年生まれ。87年毎日新聞社入社。盛岡支局、サンデー毎日編集部、経済部、エコノミスト編集部などを経て2016年から現職。金融、為替、証券、マクロ経済などを中心に取材。