毎日家業×創業ラボ

左官屋をアップデート!「パソコンゼロ職場」からの出発

清水憲司・毎日新聞経済部副部長(前ワシントン特派員)
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原田左官工業所の原田宗亮社長。ショールームには、左官職人が仕上げた壁の見本を展示している=東京都文京区で、手塚耕一郎撮影
原田左官工業所の原田宗亮社長。ショールームには、左官職人が仕上げた壁の見本を展示している=東京都文京区で、手塚耕一郎撮影

 東京都文京区の「原田左官工業所」は、女性や若者が活躍する左官屋さんです。3代目経営者の原田宗亮(むねあき)さん(47)は、建築業界にありがちな「技術は見て覚えろ」式の職人育成法を大きく見直し、女性や若者が働き続けられる会社に作り替えることで、デザインを武器にした「提案型左官」の道を突き進んでいます。1000年以上前の奈良時代には既に存在していたという左官業。3回にわたって原田さんの「変革」を追いかけます。

私の家業ストーリー<1>原田左官・原田宗亮さん

 原田左官工業所は、父宗彦さんが経営していた頃から、業界では「いっぷう変わった左官屋さん」として知られていた。

 左官職人は、技術習得のための長年の修業と、壁を一気に塗りあげる体力が必要で、長年、誰もが「男の職場」と思い込んできた。そこに新風を巻き起こしたのが、アイデアマンだった宗彦さん。1989年、事務員の女性が「私も壁を塗ってみたい」と言い出したのをきっかけに、女性職人の採用・育成を開始。「ハラダサカンレディース」という女性職人だけのチームを組み、テレビや雑誌で盛んに取り上げられた。

 「うちは普通の左官屋ではないんだな」。当時、中学生だった宗亮さんにとって強烈な印象になった。

 もっと幼い頃、会社と自宅は同じ建物だった。地方から出てきたばかりの職人さんの中には住み込みの人もいて、毎日、一緒に食卓を囲んだ。どこまでが会社で、どこからが自宅なのか、はっきりした境目はない。左官はまさに「家業」で、自宅に出入りする職人さんは、それを手伝ってくれる人たちという存在だった。

 父から「継げ」と言われたことは一度もなか…

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清水憲司

毎日新聞経済部副部長(前ワシントン特派員)

 1975年、宮城県生まれ。高校時代まで長野県で過ごし、東京大学文学部を卒業後、99年毎日新聞社に入社。前橋支局を経て、東京経済部で流通・商社、金融庁、財務省、日銀、エネルギー・東京電力などを担当した。2014~18年には北米総局(ワシントン)で、米国経済や企業動向のほか、通商問題などオバマ、トランプ両政権の経済政策を取材した。