
10月5日正午過ぎ。麻生太郎氏(81)は大勢の職員に拍手で見送られながら、9年近くを過ごした財務省を去った。
2008年9月に発足した自身の政権はわずか1年の短命に終わったものの、12年12月に発足した第2次安倍晋三政権で財務相に就任すると8年9カ月、通算3205日にわたってその座にとどまり続けた。
財務相としての在任歴では省庁再編前の蔵相時代を含め、戦後最長。戦前を含めても初代蔵相・松方正義(5302日)、世界恐慌時の日本の混乱を救った高橋是清(3214日)に次ぐ3位という大記録となった。
しかし、松方、高橋という戦前の名蔵相2人に比べ、麻生氏の実績が検証されることはほとんどない。
果たして麻生氏は歴史に残る「名財務相」なのか――。それを知りたくて財政、税制、金融、政治、そして立ち居振る舞い、それぞれの分野の専門家を訪ね歩いた。
「いつも毒舌」
多くの人が麻生氏で思い浮かべるのは実績ではなく、過激な言動だろう。
退任前の数カ月だけでも、新型コロナウイルスの感染拡大がまだ深刻な状況であるにもかかわらず「コロナはまがりなりにも収束した」(9月7日)と言い切ったり、森友学園をめぐる財務省の決裁文書改ざん問題に関する記者の質問を「読者の関心があるのかね?」(9月21日)とからかったりと炎上騒動を繰り返してきた。
財務相退任後も衆院選の応援演説で訪れた北海道で「北海道のコメがうまいのは、農家ではなく地球温暖化のおかげだ」と発言してひんしゅくを買い、岸田文雄首相が代わって陳謝に追い込まれた。相変わらずのトラブルメーカーだが、それにもかかわらず麻生氏は長く政府の要職にあり続けたのは、なぜなのか。
「麻生さんは一貫して毒舌。しかし、だからこそ日本人に受け入れられた面がある」
少し意外な指摘をするのは、ハリウッド大学院大の佐藤綾子教授(パフォーマンス心理学)…
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赤間清広
毎日新聞経済部記者
1974年、仙台市生まれ。宮城県の地元紙記者を経て2004年に毎日新聞社に入社。気仙沼通信部、仙台支局を経て06年から東京本社経済部。16年4月に中国総局(北京)特派員となり、20年秋に帰国。現在は霞が関を拠点に、面白い経済ニュースを発掘中。新著に「中国 異形のハイテク国家」(毎日新聞出版)