毎日家業×創業ラボ

後継者難「私が会社を譲渡するまで」お豆腐屋さんの決心

清水憲司・毎日新聞経済部副部長(前ワシントン特派員)
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石川県白山市の「山下ミツ商店」の山下浩希さん=本人提供
石川県白山市の「山下ミツ商店」の山下浩希さん=本人提供

 石川県白山市の豆腐店「山下ミツ商店」の山下浩希さん(60)は今年10月、30年以上にわたって経営してきた会社を、茨城県取手市を本拠地とする同業の「染野屋」(江戸時代から続く歴代「半次郎」が導いた運命の道参照)に売却しました。人生をかけて育ててきた会社を手放す。大きな葛藤がありましたが、後継者がいないこともあって決心しました。後継者難による事業売却や廃業は、多くの中小企業が直面する課題でもあります。山下さんのドラマを通じて考えます。

私の家業ストーリー<1>山下ミツ商店・山下浩希さん

 山下ミツ商店は、日本三霊山に数えられる白山のふもと、旧白峰村の地域にある豆腐店だ。もともとは豆腐の製造販売だけでなく、お酒やお菓子、日用品まで生鮮食品以外は何でも売る「家族経営の何でも屋」だった。

 祖母のミツさん、母の孝尾さんがお店を切り盛りする山下家の長男だったが、幼い頃は継ぐとも継がないとも、あまり意識していなかった。

 「オレのことはあてにしないでくれ」。大阪の大学に進学後、将来は金沢あたりに出て働こうと思い、家業は継がないと決めた。卒業後の1984年に就職したのは石川県内の地場スーパー。野菜や果物など生鮮食品コーナーの担当になった。

 生鮮食品は売り場づくりが命だ。あらかじめ「今日はこれを買おう」と決めて来店する洗剤やトイレットペーパーといった日用品とは異なり、お店に来てから何を買うか決める生鮮食品は、思わず手が伸びるような品ぞろえや陳列ができるかどうかが売り上げを左右する。

 入社して1年目。競合店の売り場を研究したり、業界紙も定期購読したりして勉強したが、思うように売り上げが伸びない。

 「なんだか面白くないなあ」。壁にぶつかっていた時に、業界紙で「てんびんの詩(うた)」という映画の広告を見つけた。「商いの原点」を学ぶための映画だという。ぜひとも見たいと思ったが、ビデオを買うと何万円もするから、その時はあきらめた。

 その日の日付は今もはっきり覚えている。1985年2月12日、たまたま立ち寄ったラーメン屋で「てんびんの詩」の上映会開催を知らせる貼り紙を見つけた。なんと上映会は2日後で、この映画を作った竹本幸之祐さんの講演も聞けるという。店長に掛け合って早退させてもらい、上映会にかけつけた。

転機をくれた映画「てんびんの詩」

 映画は昭和初期、近江の大きな商家に生まれた少年が、小学校の卒業祝いに鍋のふたを渡されるところから始まる。父親から「この鍋ぶたを売って来られなければ、後継ぎにはしない」と言われ、少年は誰彼構わず声をかけて売ろうとするが、どの家にも既にあり、簡単に壊れるものでもない鍋ぶたが簡単に売れるはずがない。

 小学校を卒業したばかりだから、あいさつの仕方さえ分からず、商品への愛着もないから横柄な態度になって、ますます売れない。お客さんたちも「これは両親が少年に課した修行だ」と気づいてわざと突き放す。そうした経験を通して少年が「商いの神髄」を学んでいくという内容だった。

 「商売って面白いなあ」。登場人物のセリフの一つ一つに、商売をする上で大切な心構えが詰まっていると感じた。講演会の後、竹本さんの著書を買って「山下君へ、商いの原点を」とサインしてもらい、興奮のあまり会場を出ると思わず走り出した。

 自分の売り場の売り上げが伸びないのは、競合店の出方や前年比の増減ばかり気にしていて、お客さんの方を向いていなかったからではないか。お客さんが望んでいる品ぞろえをすれば、喜んで買ってくれるはずだ。「自分は一番大事なことを忘れていた」と気づかされた。

 映画には、もう一つのメッセージが込められていた。後継ぎを育てようとする家族と、それに応えようとする子の姿だ。「実家の店を継ごう」。一気に決心した。

「どこででも通用する豆腐店になる」

 実家の山下ミツ商店に入ったのは、85年10月。本当はもうしばらくスーパーで商売の勉強をするつもりだったが、80歳を超えていた祖母ミツさんが「もう年だから店をやめる」と言い出し、「だったらオレが継ぐよ」と家業を引き受けた。24歳だった。

 豆腐づくりの知識はゼロ。ミツさんと母孝尾さんと一緒に豆腐を作り、少しずつコツをつかんでいった。その頃、山下ミツ商店が作っていたのは、この地域で古くから食べられていた「堅(かた)とうふ」。重しを乗せ、しっかり固めるのが特徴だ。

 販売は好調だった。地元の古くからのお客さんはもちろん、「堅とうふ」の物珍しさにひかれて買い求める観光客が多かった。「親子3代」という話題性も販売を後押ししてくれた。

 一方で、今のままでは長続きしないと感じていた。「堅とうふだけでは、自分が60歳になるまでは続かない。どこででも通用する豆腐屋になりたい」。絹豆腐やおぼろ豆腐によせ豆腐……。いろいろな豆腐を作れるようになって、金沢にも進出できる豆腐屋になりたい。「変わらなきゃいけない」。その思いが若い山下さんを突き動かした。

<「私の家業ストーリー」は原則、毎週火曜日に更新します。次回(12月14日掲載予定)は、国産大豆と天然にがりでつくったお豆腐で、デパ地下への進出など会社を大きく成長させた経緯を追いかけます>

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清水憲司

毎日新聞経済部副部長(前ワシントン特派員)

 1975年、宮城県生まれ。高校時代まで長野県で過ごし、東京大学文学部を卒業後、99年毎日新聞社に入社。前橋支局を経て、東京経済部で流通・商社、金融庁、財務省、日銀、エネルギー・東京電力などを担当した。2014~18年には北米総局(ワシントン)で、米国経済や企業動向のほか、通商問題などオバマ、トランプ両政権の経済政策を取材した。