
3月16日深夜、福島県沖を震源地として発生した最大震度6強の地震により、福島―白石蔵王間を走行していた東北新幹線「やまびこ223号」が脱線した。
この事故に伴い、21日までに乗客3人からけがの申告があったが、死者や重傷者はなかった。
また、事故の影響で運転を見合わせていた区間は、22日から一ノ関(岩手県)―郡山(福島県)間を除いて運転を再開。今後も段階的に不通区間を解消し、全線での運転再開は4月20日前後を目指すとしている。
「脱線」を強調する報道の違和感
事故の詳細な分析はJR東日本や国土交通省の調査を待つ必要があるが、車体の転倒をまぬがれ、重大な人的被害を出さなかったのは、JRが取り組んできた大規模地震対策が功を奏したと言える。
だが今回の事故直後は、脱線した事実だけをことさらに取り上げ、対策が不十分だったと批判する報道も目に付いた。これには大きな誤解もある。現在、新幹線の運転中に大地震が発生したときの基本方針は、「万一、脱線しても、それ以上の被害は最小限に食い止める」というものだからだ。
もちろん脱線しないに越したことはないが、鉄道の世界では非常時の手段として「脱線は究極のブレーキ」とさえ言われる。
阪神大震災が契機
この基本方針が生まれたきっかけは、1995年の阪神大震災だ。このときは山陽新幹線の新大阪―新神戸間で高架橋が落下した。地震の発生時刻が5時46分と新幹線の始発列車は出発前だったため、乗客が巻き込まれるのはまぬがれたが、日中に起きていたらと思うとぞっとする。
同震災では他の場所でも高架橋の崩落が起きた。また、神戸高速鉄道大開駅では、地下トンネルの天井が崩れ落ち、危うく列車が押しつぶされるところだった。
万一、脱線が起きても、高架橋やトンネルなどの鉄道インフラが持ちこたえてくれれば、被害のさらなる深刻化を防ぐことができる。そこでまず行われたのが耐震補強だ。大地震が起きても列車への被害を最小限にするよう、橋脚に鉄板を巻くなどの工事が急ピッチで進められた。
上越新幹線脱線事故の教訓
2004年に発生した新潟県中越地震では、上越新幹線が浦佐―長岡間で脱線する事故が発生した。しかも高架橋上での脱線だ。高架橋そのものが崩れていたら、さらなる大事故につながった可能性がある。だがすでに補強工事が完了していたこともあり、崩落は起こらず死傷者もなかった。
ただし列車が転倒をまぬがれたのは、豪雪対策として設置されていた排雪溝に車体がはまり込む形になったからだっ…
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