
その印象は強烈だ。紫色の髪に、ド派手な服装。歯に衣(きぬ)着せぬ経済への論評は、見た目をさらに上回るほどの過激さだ。アベノミクスを「アホノミクス」とこき下ろすなど、時の権力者にも一切ひるむことはない。同志社大学大学院教授にして、エコノミストでもある浜矩子(のりこ)さん。唯一無二ともいえるその個性はどうやって育まれたのだろうか。
ずっと「異端」だった
「ずっと『異端』扱いでした。大人になるとその環境にもすっかり慣れてしまって、逆に『異端なる者』であることを全面的にアピールしていましたね」
1952年、東京生まれ。商社マンだった父誠さんの海外赴任に伴い、小学3年からロンドンで過ごした。アジア系が少ない英国で「異端」扱いされたが、「反骨精神」(浜さん)で闘い続けた。帰国したのは、中学1年の2学期。東京の区立中に編入したが、そこでも「異端」扱いは変わらなかったという。
帰国子女という言葉もまだ浸透していなかった時代。「外国帰り」というだけで注目を浴びた。初登校時、英国の学校でそうしてきたように、万年筆とインク瓶を持って学校に向かった。同級生は当然、筆箱に鉛筆、消しゴム。教室は騒然となった。
体育の時間でも、こんなことがあった。「親も私もうかつだったんですけど、英国の学校で使っていたホッケーのユニホームのような体操服を着て行ったんですよね」。事あるごとに、からかわれた。しかし、決して下を向かなかった。逆に徹底的に前に出続け、存在感を示すことで同級生を圧倒した。
「勉強でも、態度でも正面突破するしかなかった。ひるまず前に出るということが、いつしか私の標準装備になった。それは今も変わりません」
「荒れ野で叫ぶ声」
浜さんの性格形成には、母京子(たかこ)さんの存在が大きく関わっている。
京子さんの祖父は朝鮮銀行総裁などを歴任した美濃部俊吉。俊吉の弟は大正、昭和を代表する憲法学者で…
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