実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

誤解だらけのB型肝炎ウイルス(2)

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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最善の対策はワクチン接種

 B型肝炎ウイルス(以下HBV)への最善の対策はワクチン接種に他なりません。HBVは医療行為でも簡単にうつりますから(実際ワクチンがなかった時代には患者から感染し命を落とした医療者は少なくありません)、医学部や看護学校では、学生が入学すると直ちにワクチン接種を行っています。

 私が院長をつとめる太融寺町谷口医院(以下谷口医院)は大阪の都心部にあり、周囲にいくつか看護学校や歯科衛生の学校があることから毎年新入生が入学する3〜4月にHBVワクチンの希望者が増えます。HBVのワクチンは希望すれば直ちに接種できるわけではありません。まず感染していないことを確認する検査が必要になります。谷口医院ではこの検査で初めて感染していることが分かるという人が全体の1%程度います。

抗体ができれば多くが「治る」

 もうひとつワクチンを接種する前にしなければならないことは抗体の有無の検査です。前回紹介した保育所での集団感染の事例からもわかるようにHBVの感染力は極めて強くささいな接触でも感染する可能性があります。ならば、世界は感染者だらけになるはずですが、実際はそうはなっていません。この理由は、HBVは感染しても抗体(HBs抗体)ができて「治る」ことが多いからです。

 治る、ではなく「治る」とかっこ付きで書いたのには理由があります。HBVは麻疹や風疹のように抗体ができれば病原体が体内から完全に消失するわけではなく、ヒトの細胞内に“寄生”するようなかたちで存在し続けます。そして、大部分の人は何事もないまま生涯を過ごすことができるのですが、特殊な状況(注)のなかでは、細胞内に存在する病原体が将来活性化をすることがあります。

 HBs抗体が陽性であればワクチンの適応にはなりません。つまりワクチンを接種しなくても感染することはないと考えられます。谷口医院の例でいえば、ワクチン希望者の10%近くがすでに陽性となっています。つまり、これらの人たちは自分でも気付かないうちに感染して「治っていた」というわけです。

複雑なB型肝炎の病態

 実はB型肝炎はウイルスに感染しても、急性肝炎というかたちで症状が出現するのは全体の2〜3割程度です。7〜8割はまったく症状が出ずにいつのまにかHBs抗体が形成され「治る」のです。症状が出た場合も軽度であることが多く、37度台の微熱と軽度の倦怠(けんたい)感だけで医療機関を受診するまでもなかった、というケースが大半です。そしてそのうちにHBs抗体が形成され「治る」のです。

 急性肝炎が重症化することはそう多くはなく「劇症肝炎」に移行するのは全体の1パーセント程度です。しかし、もしも劇症肝炎を発症すればいくら手を尽くしても助からないこともあります。つまり頻度は多くはないとはいえ、HBVは感染して数カ月後には命を失うかもしれない「死に至る病」なのです。

 HBVには慢性肝炎もあります。また肝硬変や肝臓がんになることもあります。ただしこのような慢性の経過をとるのは母子感染か幼少時に感染した場合で、成人が感染した場合はたとえ劇症化まで進んだとしても回復すればHBs抗体が形成され「治る」のです。つまり慢性化はほぼありません。しかし、これは「従来の」考え方です。

 またもやかっこつきのややこしい表現で恐縮ですが「従来の」としたのは理由があります。HBVは以前の日本の医学部では「成人感染の慢性化はほぼない」と教えられていましたが、ヨーロッパでは「成人感染では1〜2割が慢性化する」と教えられてきたのです。

ワクチン接種ですべてが解決、ではない

 なぜこのような違いがあるのか長い間謎だったのですが、HBVの遺伝子解析がおこなわれるようになり理由が明らかとなりました。実はHBVにはさまざまな亜型があることが判明し、現在では遺伝子型A〜Hまであることが分かっています。従来日本に多かったのは遺伝子型BまたはCでこれらの成人感染での慢性化はほとんどありません。一方、ヨーロッパに多い遺伝子型Aは成人感染での慢性化がしばしばあります。そして1990年代後半から主に性交渉を介して遺伝子型AのHBVが日本にも入ってきたというわけです。

 今回述べたようにHBVには抗体(HBs抗体)ができれば「治る」ことが多いものの将来再びウイルスが活性化する可能性があったり、「従来」はなかった成人感染の慢性化が増えてきたりと、非常にややこしい感染症です。しかし、感染に気付いていない人の多さ、感染力の強さ、感染後の複雑な経過、さらに社会に与える影響の大きさなどから考えて軽視できない、大変重要な感染症でもあり、ワクチンを接種すればそれでOKという単純な話でもありません。次回は谷口医院で経験した具体的な症例を紹介してみたいと思います。

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注:「特殊な状況」とは免疫力が低下した場合です。例えば強力に免疫を抑制するような薬剤を用いたときに体の奥に潜んでいたはずのHBVが活性化し肝炎をきたす可能性があります。これを「de novo(デノボ)肝炎」と呼びます。

谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。