実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

誤解だらけのB型肝炎ウイルス(6)

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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 これまでみてきたようにB型肝炎ウイルス(以下HBV)は、血液のみならず、唾液や汗、尿などにも含まれており、成人の場合は性交渉で簡単にうつることがあります。では、全員が検査をしてワクチンをうてばいいではないか、という意見が出てくると思います。

最善の対策はワクチンの全員接種

 これはまったくその通りで、国民全員にワクチンを接種すればHBVの問題の大部分が解決します。日本では来年(2016年)からHBVがついに定期接種に組み入れられることになりそうで、これはもちろん歓迎すべきことです(注1)。しかし、おそらく対象は新生児に限られると思われます。ちなみに、HBVのワクチンは欧米やオセアニアでは生後1時間以内に全新生児に接種します。つまり、それだけ重要で安全なワクチンということです。

 成人にも可能な限り大勢に接種すれば前回まで紹介してきたような「悲劇」は防げます。では、みんなでワクチンをうちにいこう!と言いたいところですが、その前に最も大切なことを述べたいと思います。HBVについて計6回にわたり話してきましたが、私が最も主張したかったのは次のことです。

感染者に思いをはせてほしい

 それは、「検査やワクチンを検討する前に現在感染している人のことを考えてほしい」、ということです。

 第5回で紹介した「保育所集団感染」を思い出してください。合計25人が感染したこの悲劇はこの地では大きな問題になったに違いありません。自分の子供が感染したと知った親は保育所あるいは行政の責任を追及したかもしれません。そして感染の発端となったと考えられている職員はかなりつらい思いをしたに違いありません。

 たしかに自分の子供が保育所でHBVに感染し、劇症肝炎は起こさなかったとしても、将来肝臓がんや肝硬変になるかもしれないと言われれば保育所を恨みたくなる気持ちは理解できます。しかし、この職員もうつそうと思ってうつしたわけではありません。佐賀県の報告書からは分かりませんが、この職員は自らの感染を知らなかった可能性もあるでしょう。

 だとするとこの職員を誰が責めることができるでしょう。同じことを繰り返してはいけませんから、この職員は同じ仕事を続けることはできません。ではこの職員は解雇されるべきなのでしょうか。

 もちろん違います。この職員のことは社会がそして我々ひとりひとりが守らなければなりません。このケースであれば、園児と直接接しないような業務に従事してもらうようにすべきであり解雇になど絶対にしてはいけません。

HBV陽性という事実が差別と結びつかないために

 太融寺町谷口医院に通院されているHBV陽性の患者さんに対し、私は「新しいパートナーができたときは、言いにくいのは理解できますが、きちんと話をしてワクチンをうってもらってください。それまではプラトニックの関係でいてください。パートナーに話をしにくいときはここに連れてきてください」と言うようにしています。

 一方、「新しいパートナーがHBV陽性で、パートナーからワクチンをうつように言われて来ました」といって受診された患者さんには、「よく来てくれました」と言った次に「あなたのパートナーがあなたにそのことを伝えたとき、とても勇気がいったはずです。あなたに対する優しさからその勇気が生まれたのだと思います」というようなことを話します。

 HBV陽性という理由から恋愛をためらったり就職に不利になったりというようなことは絶対にあってはなりません。検査を受けてワクチン接種をすることを、私はこのコラムを読んでくれている人全員に勧めたいのですが、その前に、まずは感染者の立場に立って思いを巡らせてほしいのです。日本にはHBV陽性者が100万人以上いると言われています。彼、彼女らは、差別されることを恐れ、会社でも地域社会でもそれを内緒にしていることが多いのです。

 もしもあなたが検査を受けて陰性であったとき、安心感から、職場などで「心配だったけど検査を受けてよかった。感染していなかったからワクチンの1回目もすでにうってきた」と話したとき、横でそれを聞いていた同僚がHBV陽性ということもあり得るのです。

 6週間にわたりHBVについて具体的な症例も織り交ぜ、マスコミなどではあまり報じられないことも紹介してきました。世間一般で考えられているよりもささいな接触で感染することがあること、いい薬が登場してきたとはいえ死に至ることもあること(注2)、恋愛や就職に支障をきたすこともあること、差別を恐れ、感染を隠しながら生きている人が少なくないことなどを医師として実感するにつれ、私はこの疾患を多くの人に伝えなければならないと思ってきました。みなさんに少しでも興味を持っていただければこれほどうれしいことはありません。

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注1:2016年2月5日、厚生労働省の予防接種基本方針部会は、HBVワクチンを2016年10月から予防接種法に基づく原則無料の定期接種にすることを了承しました。対象は2016年4月以降に生まれる新生児で3回接種が標準となります。

注2:治療について本文ではほとんど述べていないので補足しておきます。B型肝炎の治療は簡単ではなく、どのような治療をおこなってもウイルスが体内から完全に消えることはありません。ただしウイルスを抑制し、肝機能を改善させることは可能です。従来、用いられていたのはインターフェロンと呼ばれる注射薬で、治療が成功すると投与終了後も肝機能は正常を維持します。しかし、すべての症例で改善するわけではなく、また副作用から継続できない人も少なくありません。現在は核酸アナログ製剤と呼ばれる飲み薬もあります。こちらはインターフェロンに比べると副作用は少ないのですが、内服を中止すると悪化しますから生涯にわたり継続して飲み続けなければなりません。

谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト