実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

蚊がもたらした八重山諸島の悲劇

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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「世界一恐ろしい生物=蚊」の実態を知る【2】

 今年(2015年)は戦後70年ということもあり、マスコミでは戦争の特集が数多く組まれました。4月には、天皇、皇后両陛下が太平洋戦争の戦没者の慰霊などのためパラオを訪問されたことが大きく報道されました。8月に公開された半藤一利氏原作の「日本のいちばん長い日 運命の八月十五日」は随分話題になりました。

米軍が上陸しなかった島での「加害者」

 また、8月14日には安倍晋三首相が内閣総理大臣談話を発表し、そのなかで太平洋戦争の被害者に対する言葉が述べられています。国外の犠牲者に対しては「中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜(むこ)の民が苦しみ、犠牲となりました」というコメントがあり、国内の被災者に対しては「広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました」とあります。

 沖縄については「沖縄における地上戦」という言葉があります。米軍は1945年3月に慶良間諸島から沖縄本島に上陸し、一般市民を含む大勢の日本人が犠牲になりました。しかし、本島よりも南方に位置した八重山諸島には米軍は上陸していません。

 したがって、安倍首相のこの談話に八重山諸島という言葉がないのは無理もないことかもしれません。しかしながら、美しいサンゴ礁で知られる南の楽園八重山諸島でも、悲劇は繰り広げられました。そして、一番の加害者は米軍ではありませんでした。住民に最も被害を加えた最大の「加害者」は蚊だったのです。

マラリア感染は「人災」

 前回お伝えした「世界一恐ろしい生物=蚊」は、実はかつての八重山諸島で恐怖の生物でした。当時の八重山諸島のなかにマラリアが生息していた島があったのです。現在ではマラリアを媒介するハマダラカは八重山諸島を含む沖縄には生息しておらず沖縄県内で感染することはありません(注1)。

 今はマラリアがなくて、戦時中はあった。それだけの話であって、戦争そのものは直接関係ないんじゃないの?と思う人がいるかもしれませんが、そうではないのです。

 日本軍が八重山諸島の住民を結果としてマラリアに感染させた、言わば「人災」であるという見方があり、おそらくこれは事実です。八重山諸島の多くの住民を殺害した直接の加害者が「蚊」であり、間接的な加害者は「日本陸軍」であるという見方ができなくもないのです。とすると、被害者に対する謝罪や補償はどうなるのか、という問題がでてきます。

 沖縄の八重山諸島に波照間島(はてるまじま)という小さな島があります。現在は人口500人程度ですが、太平洋戦争の時代には1600人以上の人々が暮らしていました。45年3月、米軍が慶良間諸島に上陸した直後、波照間島の住民が集会場に集まるよう言われそこで命令がでました。

波照間島から見た朝日=澤本麻里子撮影
波照間島から見た朝日=澤本麻里子撮影

島住民の3割が死亡

 ここからは、宮良作著「日本軍と戦争マラリア」(新日本出版社)から引用したいと思います(かっこ内が引用部分です)。集会では次のような命令がでたそうです。

 「アメリカ軍が波照間島に上陸するという情報が入ったから、急いで西表島南風見田(はえみだ)に疎開せよ」

 当時の波照間島はマラリアがない島であり、西表島はマラリアに汚染された島です。当然住民は納得できず大騒ぎになります。そのとき、それまでは温厚であった青年学校の教官がいきなり前に出て日本刀を抜刀し大声を出します。

 「黙れ、黙れ! 西表に疎開せよとの軍命は、四五旅団長・宮崎閣下の命令だ。(中略)(命令が)聞けんと言う奴(やつ)は前に出て来い。俺がたたき斬ってやる。いいか。おれは大日本帝国陸軍軍曹・山下虎雄だ。昨日までの青年学校の教官は仮の姿だ。(中略)旅団長の命令は、天皇陛下の命令だと思え」

 昨日まで青年学校の先生だった山下先生の本当の姿は陸軍軍曹だったのです。当時の波照間島では成年男子のほとんどは戦争に出征していたはずですから、住民は女性と子供、高齢者ばかりでした。そんな住民たちが日本刀を抜刀しすごんでいる軍曹に抵抗することなどできるはずがありません。

 結局、西表島に強制疎開させられた波照間島の住民の大勢がマラリアに罹患(りかん)し死亡しました。波照間島の調査によれば、当時の人口1671人の33%に相当する552人がマラリアで命を落としています。

 なお、歴史的事実を付記しておくと、結局連合軍は波照間島に上陸していません。また住民が島を去るときに残していった豊富な家畜は帝国陸軍の食糧になったという話もあります。

 八重山諸島の自治体の調査によれば、八重山全体のマラリア死亡者数が合計3825人、当時の人口が3万3924人ですから実に人口の11.2%がマラリアで命を落としています(注2)。4000人近くもの罪のない人々がマラリアの犠牲になった……。太平洋戦争を語るときにこの歴史的事実を忘れてはいけません。

   ×   ×   ×

 注1:現在の沖縄にはハマダラカは生息していますが、八重山諸島、西表島も含めてマラリアの病原体、マラリア原虫はいません。私はこの理由についてずっと気になっていたのですが、最近「マラリア撲滅への挑戦者たち」(南風原英育著 やいま文庫)を読んでようやくわかりました。自治体の職員の絶え間ない努力がマラリア撲滅を成し遂げたのです。DDT(殺虫剤)を徹底的に使用するという地道な作業をひたすら繰り返し、稲や家畜を犠牲にしたという負の側面もあったものの1966年には世界保健機関(WHO)からマラリア撲滅の認定を受けています。沖縄が日本に復帰したのは72年ですから、そのときにはすでにマラリアの心配がない「南の楽園」となっていたのです。

 注2:宮良作氏はマラリアの被害者を二つに分けています。一つは「軍命による避難」、もう一つが「軍命がない自主避難」です。軍命がなく自主避難したのであれば、日本政府の責任は少ないと言えるかもしれません。しかし、軍命による避難の場合は、日本政府のきちんとした対応が必要になると考えるべきではないでしょうか。波照間島のケースは、本文で述べたように「軍命による避難」に相当します。他に石垣島、竹富島、黒島、鳩間島もこのケースです。一方、「軍命がない自主避難」は与那国島だけです。

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト