実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

デング熱制圧 世界に誇れる東京都の功績

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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「世界一恐ろしい生物=蚊」の実態を知る【4】

 東京オリンピックを巡る混乱が続きました。いったん決まった新しい国立競技場の計画が見直されることになり、オリンピック大丈夫かな~、という世論が続いていたなかで、次は決定していたエンブレムのデザインが取り下げられることになりました。

競技場? エンブレム? オリンピック開催に不可欠なこととは

 バグダッド出身の女性建築家がデザインした国立競技場が白紙となり、ベルギーのリエージュ劇場が国際オリンピック委員会を相手に著作権侵害訴訟を発表したわけですから、世界中から、「東京は大丈夫なのか? 本当にオリンピックが開催できるのか?」という声が聞こえてきそうです。

 オリンピックを無事に開催・運営させることは国の威信に関わります。もしも、予定されていたプログラムが開催されなくなったり、「不正」などというスポーツ精神にあってはならないものが発覚したりするとなると日本の信用は大きく損なわれてしまいます。

 また、「安全」にオリンピックを実行することが重要で、天災やテロなどで選手や観客が危険にさらされることがあってはなりません。そして、あまり指摘されることはありませんが、感染症対策も徹底しなければなりません。たとえば韓国で猛威を振るったMERS(中東呼吸器症候群)が東京オリンピックと重なって首都圏で流行するようなことがあれば、直近であったとしても中止となる可能性すらでてくるでしょう。

デング熱69年ぶりの国内感染の衝撃

園内立ち入り禁止の張り紙をして代々木公園の門を閉鎖する関係者たち=東京都渋谷区で2014年9月4日午後3時10分、竹内紀臣撮影
園内立ち入り禁止の張り紙をして代々木公園の門を閉鎖する関係者たち=東京都渋谷区で2014年9月4日午後3時10分、竹内紀臣撮影

 そんななか、私が昨年から心配していたのがデング熱です。デング熱は東南アジアを含む熱帯地方ではおなじみのよくある感染症ですから、タイやマレーシア、インドネシアなどに滞在している人からすれば珍しいものではありません。短期旅行でも感染する人は少なくなく、帰国後の発熱と皮疹からデング熱と診断される日本人は年間200人程度います。

 しかし昨年(2014年)には1945年以来、実に69年ぶりに日本国内で感染者が報告され、最終的には150人以上に確定診断がつきました(注)。代々木公園付近での発症が多数を占めましたが、なかには東京都に足を踏み入れていないのに感染した人もいて、デング熱ウイルスを媒介する蚊(ヒトスジシマカ)は首都圏全域あるいはそれ以上に広がった可能性も指摘されました。

シンガポールの目抜き通りでも感染

 2015年に再びデング熱が流行するかどうかについて、私自身は十分にその可能性があるとみていました。というのも、デング熱は今世紀に入ってから感染者が世界的に増えており、また従来は熱帯地方にしかないとされていましたが、ここ数年は香港や台湾でも流行しているからです。つまり流行地が北上してきているのです。どこの国でもデング熱対策をおこなっていますが、完全に制圧できた地域はありません。たとえば、日本よりも1人あたりのGDP(国内総生産)が高いシンガポールでさえ、デング熱は制圧どころか感染者は一向に減っていません。同国の最大の目抜き通り「オーチャード通り」でも感染することがあるのです。

わずか1年の流行でとどめた東京都の功績

 しかし、現時点(15年10月17日)で、日本国内でデング熱が感染したという報告はありません。つまり、東京都はデング熱の制圧に成功したのです。私は、これは世界に誇れる素晴らしい実績だと思っています。このコラムの第3回で、狂犬病を制圧したという実績は世界に誇れること、と述べました。そこまではいかないにせよ、デング熱の流行をわずか1シーズンでとどめたというのは称賛されるべきことです。

 東京都が具体的にどのような対策を立てたのかは分かりませんが、おそらくいろんな観点から徹底的に実施したはずです。私が驚いたのは、代々木公園でデング熱が発生したことが分かったとき、すぐに公園を閉鎖したことです。私はこれを聞いたとき東京都の「真剣さ」を感じました。おそらくデング熱が発生したことで公園を閉鎖するような地域は海外にはないのではないでしょうか。

 ここからは私の推測ですが、おそらく代々木公園内のみならずその周辺の水たまりや放置されたタイヤを徹底的に除去したはずです。こういったところで蚊が発生するからです。また、蚊を駆除する薬剤を徹底的に噴霧したに違いありません。第12回の注釈で述べたように八重山諸島でマラリアを媒介するハマダラカを根絶できたのは大量のDDTをまいたからです。しかしDDTの弊害は小さくなく西表島では稲や家畜の被害が出ています。現在では、不適切な農薬の散布をおこなえば地域住民やマスコミから非難の声が必ず上がります。しかし、東京都蚊対策チームに対するそのような声はまったく聞かれませんでした。

デング熱の国内感染が確認されたことを受け、男女3人が蚊に刺されたとみられる代々木公園で行われた蚊の駆除=東京都渋谷区で2014年8月28日午後5時52分、西本勝撮影
デング熱の国内感染が確認されたことを受け、男女3人が蚊に刺されたとみられる代々木公園で行われた蚊の駆除=東京都渋谷区で2014年8月28日午後5時52分、西本勝撮影

今回の成功が「デング熱ゼロ」のオリンピックにつながる

デング熱を媒介するヒトスジシマカは秋になると生息できません。おそらく今年は日本全国で「完全制圧」といっていいでしょう。そして、もちろん油断はできませんが、今年の発生がゼロなら来年も、そしてオリンピックの20年までデング熱の国内での発生をゼロにできることが期待できるでしょう。

 「感染症に対する安全性」だけでオリンピックの開催地が決められるのはおかしなことではあります。生命の危険が脅かされるのは困りますが、多少の感染症のリスクがあったとしてもそれを上回る魅力のある都市での開催は歓迎されるべきです。しかし、水道水が細菌だらけで、外出するときはいつも蚊におびえなければならず、夜には野犬の凶暴化に注意しなければならない国(世界にはそのような国の方が多い!)と、日本のように「世界一恐ろしい生物=蚊」がまったく怖くない国とでは、選手も観客も一日の過ごし方が異なるのもまた事実です。

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 注:本文では日本国内での14年の感染は69年ぶりと記載しましたが、実は13年に日本を訪れたドイツ人女性が帰国後にデング熱を発症し、日本で感染したと考えられています。しかし、このときはデング熱ウイルスを保持していた蚊は見つかりませんでした。

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト