実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

〈番外編〉疥癬−−ノーベル賞・大村智先生、もう一つの功績

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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知る人ぞ知る、医学、生物学界の偉人

 2015年のノーベル医学・生理学賞が北里大学特別栄誉教授の大村智先生に授与されることが決まりました。受賞決定後の国を挙げての盛り上がりとは対照的に、従来大村先生はさほどメディアに取り上げられることはありませんでした。一般の方で、大村先生のお名前と業績を知っている人は、かなりの少数派だと思います。しかし、我々医師や生物学者の間では知らない者はいないといっていい偉大な先生です。

オンコセルカ症治療だけが功績ではない

 大村先生の業績は受賞決定後、各メディアが大きく取り上げましたから、一気に全国に知れ渡りました。どのメディアも書いている内容はほとんど同じです。静岡県伊東市のゴルフ場から採取した土に生息していた細菌(放線菌)から寄生虫の特効薬を開発され、それがいくつかの寄生虫疾患に有効で、特に熱帯地方特有のオンコセルカ症という失明につながる感染症を防いだ。大村先生が開発した薬「イベルメクチン」で助かった人は、世界で10億人にも上る−−という話です。

 世界に発信する記事であればこれでいいと思います。ですが、日本人が日本人向けに書く記事であれば、もう一つ大村先生の非常に大きな功績を伝えなくてはいけない、と私は思います。それは、「イベルメクチンのおかげで、日本では疥癬(かいせん)の治療が劇的に進展した」ということです。私が見た限り、大村先生のノーベル賞受賞決定後の一連の報道で疥癬に触れたものはほとんどありません。というわけで、イベルメクチンが疥癬という病に対してどれだけ優れた効果を発揮したか、を臨床医の目線で紹介したいと思います。

「ダニ自体が感染源」疥癬の怖さ

疥癬の病原体、ヒゼンダニの成虫の顕微鏡写真=筆者提供
疥癬の病原体、ヒゼンダニの成虫の顕微鏡写真=筆者提供

 疥癬は肉眼では見えない小さなダニ、ヒゼンダニが原因です。ダニが原因の感染症としては、ライム病や日本紅斑熱、あるいはここ数年で報告が増えた重症熱性血小板減少症候群(SFTS)などがよく知られています。これらはマダニが原因で、「ダニが病原体を媒介する感染症」です。一方、疥癬は根本的に異なります。それは「ダニそのものが病原体である感染症」なのです。

 前述のようにヒゼンダニは小型のダニです。同じように家屋に存在しヒトに危害を与えるダニにツメダニやシラミダニがあります。これらには刺されるとかゆみがでますが、症状としては「それで終わり」です。かゆみはかなり強くつらいですが、ステロイド外用薬を数日間使えば治る単なる「虫刺され」で、感染症ではありません。一方、疥癬はヒゼンダニ自体が人の皮膚の下に潜り、そこに卵を産み付けることで起きる病気です。卵がかえって成虫になるとまた卵を産み、人の皮膚の下で世代交代を繰り返します。つまりヒゼンダニの場合は虫刺されではなく「感染症」なのです。

時に集団発生 強烈なかゆみが特徴

 実際には、ヒゼンダニが皮膚の下で動き出すと強烈なかゆみが出るため、世代交代の前に感染した患者さんは医療機関を受診し、体内のダニを完全に退治することになります。しかしこれが難しいのです。正確に言えば、「大村先生が開発したイベルメクチンが登場するまでは難しかった」となります。

 疥癬は高齢者が多い病院や介護施設でしばしば集団発生します。見舞いに来た家族や医療者に感染することもあり、そういう人が自宅に帰り、さらに家族に感染させることもあります。タオルの共用などでもうつる可能性があり、性感染症の一つでもあります。国立感染症研究所のウェブサイトでは年間の患者数は8万〜15万人、「ダンスの相手やこたつで行う麻雀の仲間」でもうつる可能性があると記されています。

 疥癬が他の湿疹などと大きく異なる点は、まず夜間に激烈なかゆみが起こるということです。ほとんどの湿疹やかゆみを起こす病気は、昼よりも夜にかゆくなりますが、疥癬はその傾向が顕著なのです。これはヒゼンダニが夜間、皮膚の下で動き回るからです。

 そして「皮膚の柔らかいところ」がかゆくなります。特に多いのが指と指の間の皮膚の薄い部分で、臨床ではここにかゆみのあるブツブツがある場合は真っ先に疥癬を疑います。陰嚢(いんのう、男性)や外陰部(女性)にかゆみが生じたときも疥癬の可能性を考慮すべきでしょう。この場合は大抵、陰嚢や外陰部の一部にできた「しこり」のような部分がかゆくなります。

難しい診断、効果の乏しい従来の治療法

 診断は、かゆい部分の皮膚をピンセットで採取し顕微鏡で確定します。成虫や卵が見つかれば診断確定です。ただし、初期ではまだ成虫も卵も数が少ないですから、なかなか見つからず、何度も検査をして初めて確定診断がつくということもあります。

 従来、日本の医療機関では、クロタミトンという塗り薬による治療が行われていました。これは商品名を「オイラックス」といいます。この薬は一応「効く」とされていますが、医師から見ると効いている実感がそれほどありません。海外のデータでは「疥癬のかゆみをとる効果はなかった」としているものもあります。

 他の治療としては、かつては硫黄の入浴剤を使う方法がありました。しかし現在、この入浴剤は販売されていません。「ムトーハップ」という商品ですが、硫化水素を使った自殺に使われた結果、製造中止になってしまいました(注1)。この入浴剤を使うと、「かゆみが改善する」という人は確かにいました。しかし劇的に治るのではなく、「まったく効果がない」という人もいました。

 ほかに海外ではγ(ガンマ)-BHCという「農薬」が使われることがあり、日本でも医療機関が輸入すれば使えないことはありません。しかし皮膚に農薬を塗布することに抵抗のある人は多く、実際にかぶれが起こることもあり、使いにくいものでした。

 何をやっても治癒が難しい疥癬は、臨床医にとって本当に難渋する感染症なのです。しかも「ノルウェー疥癬」と呼ばれる重症型になると、腎機能が低下し命にかかわることもあります。

イベルメクチンが多くの患者を救った

 それがイベルメクチンの登場で、疥癬治療が劇的に変わりました。2002年、まず糞線虫(ふんせんちゅう、注2)の治療目的でイベルメクチンが保険適用となりました。この時は、疥癬に対して使用すると自費診療となり1錠800円近くかかりました。しかし、イベルメクチンは体重にもよりますが3〜4錠を一度飲むだけで、体内のヒゼンダニを一気に退治してくれます。数千円の出費で眠れないかゆみから解放される−−。患者さんには文字通りの福音でした。

 そして06年8月、ついに疥癬にイベルメクチンが保険診療で処方できるようになりました。これで疥癬の治療は非常に簡単になりました。我々医師もリスクを抱えてγ-BHCを使うべきか……と悩む必要もなくなったのです。

 大村先生の業績はアフリカで最も大きいのは事実です。しかし日本の大勢の患者さんも救われているということを我々は知っておくべきだと思います。

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注1:製造中止となったムトーハップについては、その有用性を含めて、中止になった当時、筆者(谷口)がコラムを書いています。興味のある方はご覧ください。http://www.stellamate-clinic.org/blog/2013/07/2008121-581086.html

注2:糞線虫は世界的には重要な感染症で熱帯・亜熱帯地方では珍しくありません。一方、日本では九州南部から奄美、沖縄にはありますが、感染者の多くは高齢者であり増加してはいません。糞線虫の治療ももちろん重要ですが、なぜ製薬会社は初めから疥癬に対しても保険適用できるようにしてくれなかったのでしょうか……。

谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。