
知っているようで、ほとんど知らない風邪の秘密【10】
このコラム、風邪シリーズも10回目になりました。このシリーズでは「風邪」の定義を「急性の上気道炎症状をきたす感染症」としています。これまでにウイルス性や、細菌性でも軽症の風邪であれば、たいていの場合、抗菌薬はもちろん、薬は必ずしも必要でないということを繰り返し述べてきました。
ではウイルス性のものであればすべて軽症かというとそうではありません。小児の場合はアデノウイルスやRSウイルス(最近これらは比較的簡単な検査で調べることができるようになっています)が見つかれば、たいていは入院になります。最近では高齢者施設でもRSウイルスが猛威を振るうことが報告されています。
しかし、重症化することがあるウイルス性の「風邪」で、最も重要なものはインフルエンザ(注1)に他なりません。小児や高齢者では、特に持病を持っている場合、インフルエンザは死に至る風邪となることがあります。今回は、恐ろしくもポピュラーな風邪、インフルエンザの治療薬について解説します。
重症化する風邪の代名詞「インフルエンザ」
インフルエンザの治療薬(解熱鎮痛剤などの対症療法の薬ではなく、インフルエンザウイルスを抑制する薬)は、90年代から存在していましたが、「特効薬」として一躍有名になったのは「タミフル」(一般名:オセルタミビル)でしょう。日本では2001年から保険診療で使われ始めました。

発売当初は「インフルエンザの画期的な特効薬」として大量に処方されることになりました。世界のタミフルの75%が日本で消費されているとの指摘もあったほどです。しかし、その後その効果を疑問視する意見が増え、タミフルを服用した生徒がマンションから転落死するといった異常行動の報告が相次ぎ、さらに最近ではタミフルに「耐性」を持つウイルスが増えてきているとの指摘も出て、現在では患者さんからの「タミフルを処方してください」という声は以前に比べて少なくなっています。
タミフルもリレンザも「1~2日早く熱が下がるだけ」
実際はどうかというと、効果は確かにあります。そもそも「耐性」ウイルスの存在が報告されるということは、「効くことが多い」ことの裏返しなのです。しかしこの「効く」というのは「飲めばただちに治る」という意味ではありません。タミフルを飲まなかったときと比べて熱が下がるまでの期間が1~2日短縮される、という程度の効果なのです。
「な~んだ、その程度か」と感じる人もいるでしょう。実際、「その程度」なのです。現在タミフル以外によく使われるインフルエンザの薬にリレンザ(一般名:ザナミビル)、イナビル(同:ラニナミビル)などがあります。そしてこれらのいずれもが「劇的に治る」というよりは「解熱までの期間が短縮される」という程度です(注2)。
ただ、インフルエンザについてはこの1~2日の差が大きいのも事実です。インフルエンザで高熱がでるとたいていは強い倦怠(けんたい)感が伴います。身体を動かすのもつらいくらいの頭痛や関節痛が出現することもあります。これが長ければ1週間程度続くわけですから、一日でも短くなればありがたいと感じる人も多いのです。
それにインフルエンザというのは年齢に関係なく起こりうる風邪であり、日ごろ身体を鍛えている人にも容赦なく感染します。2015年4月には読売ジャイアンツの原辰徳監督がインフルエンザに感染し試合を離脱したことが報道されました。
休めないからインフルエンザ治療薬を飲む?
スポーツ選手も大変ですが、一般の社会人や学生ももちろん困ります。大事な仕事で休んでなんかいられない、という人も少なくありません。私はインフルエンザの診断がついた患者さんが、小児や高齢者でなく健康な成人であれば、ほぼ全例に「インフルエンザ陽性です。薬を飲みますか」と尋ねるようにしています。別に薬を飲まなくても1週間の苦痛に耐えれば何の後遺症もなく元気になるからです。私の経験では10人に1人くらいは、薬を飲まないという選択をします。副作用のリスクを懸念する人や、コストのことを考える人もいるのです。
しかし裏を返せば10人中9人は内服することを選択しています。よく「日本人は諸外国に比べてインフルエンザの薬を使いすぎる」と皮肉られ、実際、前述のようにタミフルの75%を日本が消費しているという指摘もありました。しかし、これは日本人が薬に頼りすぎているというよりは、職場や学校に早く復帰しなければ、という日本人の「義務感」がそうさせているのだと私は考えています。高い円(最近は「円安」ですが)にモノを言わせて貴重な薬を買い占めているという指摘は少し違うのではないかと思えます。
ですから私の経験上、インフルエンザに罹患(りかん)した健康な成人からの最も多い質問が「いつ職場に復帰できますか?」です。「日ごろがんばっているんだから、完全に元気になるまで家でゆっくりすればどうですか」などと言うと、勤勉な患者さんはたいていムッとされます(だから最近はこのようなことを言わないようにしています)。とりあえず「産業医と相談してください。もしくは会社の規定に従ってください」と言ってみますが、たいがいは「産業医もいないし規定はありません」と返ってきます。
そこで私は、学校保健安全法の出席の可否の基準「発症した後5日を経過し、かつ解熱した後2日(幼児にあっては3日)を経過するまで」を引き合いに出し、「これに準じることを勧めています」と言います。すると、多くの場合「5日も休めません」と言われます。日本のビジネスパーソンは何と働き者なのでしょう(もっとも、私も含めて医療者が患者の立場になったときも同じことを言うでしょうが……)。
「一日も早く」治すために飲むけれど……
結局、落としどころとしては、ちょっとずるいですが法律のせいにしてしまって「法律が5日と定めているのは5日たたないと他人に感染させる可能性があるということです。この点を踏まえて上司と相談してください」と答えます。それでも食い下がる人には「では、少なくとも高熱がある間はウイルスがたくさん残っていますから、解熱するまでは休まれてはどうでしょう」と言います。そして何としても早く職場復帰したいという人は、ほぼ例外なくインフルエンザの薬を希望します。
先に述べた通り、インフルエンザの薬は効果はあるけれども、せいぜい治癒までの期間を少し短くするだけです。では、もっと効果的な方法はないのでしょうか。あります。それは「ワクチン」です。しかしインフルエンザのワクチンはあまり評判がよくありません。なぜなのでしょうか。そして実際にインフルエンザワクチンは接種すべきなのでしょうか。次回はそのあたりの話をしたいと思います。
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注1:ここで述べているのはインフルエンザウイルスのことです。しばしば混同されるのがインフルエンザ菌でこちらは細菌でありワクチン(「Hibワクチン」と呼ばれるものです)もあります。
注2:これらインフルエンザの薬の作用は、ウイルスの増殖そのものを抑制する作用はなく、ウイルスが細胞の外に飛び出て拡散するのを防ぐことができるだけです。これに対し、ウイルスの増殖そのものを抑制することのできる薬剤が現在開発されつつあり、早ければ2018年にも使えるようになる見込みがでてきました。この薬が登場すればインフルエンザの治療は歴史的転換を迎えるかもしれません。
谷口医院院長
たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。