実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

手足口病のウイルスが世界の脅威へ エンテロウイルスの謎【前編】

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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 2016年2月現在、世界で最も高い関心を集めている感染症はジカ熱をきたすジカウイルス感染症だと思います。世界保健機関(WHO)が「緊急事態宣言」をおこない、単に発熱をきたすだけでなく、感染するとギラン・バレー症候群を発症するリスク、また妊婦の場合は新生児に小頭症が起きる可能性が指摘されているわけですから、それは当然でしょう。

 では現在、日本で感染症の専門家に最も注目されている感染症は何かというと、おそらく「エンテロウイルス」だと思われます。15年の秋ごろから「急性弛緩(しかん)性まひ」という突然手足が動かなくなる病気が急増し、その原因が「エンテロウイルスD68」であることが指摘されているのです。今回、そして次回は、このエンテロウイルスについて解説します。

ポリオウイルスや風邪のライノウイルスと近縁

 エンテロウイルスは、「科」「属」「種」などといった生物の分類の知識を得てからの方が、理解が早いと思います。少し専門的になりますが、まずは言葉の整理から始めましょう。

 ウイルスは、遺伝子をデオキシリボ核酸(DNA)で持つか、リボ核酸(RNA)で持つかによって二つに大別できます。RNA型ウイルスの中に「ピコルナウイルス科」という「科」があり、これは六つの「属」に細分されます。すなわちエンテロウイルス属、ライノウイルス属(風邪のウイルスとして有名です)、ヘパトウイルス属(A型肝炎ウイルスはここに含まれます)、カルジオウイルス属、アフトウイルス属、パレコウイルス属です(注1)。

 そして「エンテロウイルス属」には、ポリオウイルス、コクサッキーウイルス、エコーウイルス、エンテロウイルス、また動物に感染するタイプのウイルスも含め、非常に多くの種類のウイルスが含まれています。ウイルスに限らず生物の分類は、このように「科」「属」「種」と進むほど細分されていきます。報道などで、エンテロウイルスがライノウイルスに近いもの、と表現されることがあるのは、同じ「ピコルナウイルス科に属する」からであり、エンテロウイルスとポリオウイルスが同じ仲間と言われるのは同じ「エンテロウイルス属に所属」するからです。図示すると次のようになります。

夏風邪の代表格「手足口病」を引き起こす

 英語が得意な人は「エンテロ(entero)」と聞くと「腸」「腸の」などの意味を持つ単語を思い出すかもしれません。それは正解で、実際にエンテロウイルス属のポリオウイルスは不衛生な水や食べ物から感染します。しかし「腸」にこだわるとエンテロウイルスの理解を複雑にしてしまうことがあります。

 「手足口病」という病気を聞いたことがあるでしょうか。過去数年間だけでも何度か流行している感染症です。文字通り、手と足と口に水疱(すいほう、水ぶくれ)ができ、感冒(風邪)症状が伴うのが普通です。発熱を伴うことがあり、「夏風邪」の代表のひとつです(夏だけに生じるわけではありませんが)。小児の感染症としてよく知られているものの、近年は成人が発症することも珍しくありません。成人の手足口病は子供に比べて水疱などの皮膚症状が重症化することがあり、なかには爪が変形したり、取れてしまったりすることもあります。感染経路は経口感染が多いものの、他人のせきやくしゃみから感染する飛沫(ひまつ)感染も起こります。

 その手足口病の病原体は、複数種のウイルスです。コクサッキーウイルスA10、コクサッキーウイルスA16 、エンテロウイルス71などが有名です。上図でいえばエンテロウイルス属に含まれるウイルスです。そしてこの中では、エンテロウイルス71による手足口病が最も重症化する傾向にあり、それが専門家の注目を集めている理由なのです。12年4月から7月にかけてカンボジアで生じたエンテロウイルス71の流行では、78人の小児が感染し、なんとそのうちの54人が死亡しています(注2)。

カンボジア、豪州、米国で次々と重症化

 13年にはオーストラリア・シドニーでもエンテロウイルス71のアウトブレイク(限定された範囲内での感染の大流行)が発生し、100人以上の小児が入院しました。ここでも死亡例があり、発症から1年以上が経過しても重い後遺症に苦しめられている小児もいました。この流行で、死亡を含む重症例となった患者61人を1年間にわたり追跡調査した論文(注3)が、最近発表されました。61人のうち4人(7%)は病院に到着した時点で心肺停止状態だったといい、数時間以内に死亡が確認されています。生存した57人の多くにはてんかんの発作時などに起きるけいれん(ミオクローヌス発作)や運動失調など、脳や脊髄(せきずい)が侵されることで起きる神経症状が出現し、脳脊髄炎、脳幹脳炎などに至った重い症例も見られました。1年後に51人は回復しましたが、残りの6人はその後も神経症状に苦しめられていたそうです。

ポリオと似たまひなど重い神経症状を起こす

 さらに14年には米国ミズーリ州とイリノイ州でエンテロウイルスD68(エンテロウイルス71とは別のタイプです)がアウトブレイクし、全米に拡大しました。エンテロウイルスD68は1962年に米国カリフォルニア州で検出されたのが世界初とされていますが、その後、世界的にもほとんど流行したことがありません。ところが14年の夏ごろから、突如としてこのウイルスによる重症呼吸器疾患の報告が相次ぎ、特にぜんそくを有する小児の間で広がりました。感染者の中には、シドニーの例と同様、神経症状が生じたケースが多く、急性弛緩性脊髄炎(AFM)、急性弛緩性まひ(AFP)と呼ばれる重篤な神経疾患に陥る例も急増したのです。中には長期間まひが続いた例もありました(注4)。このような症状は、ポリオの患者に見られるまひとよく似ているのです。前述の通り、ポリオウイルスもエンテロウイルス属です。

 最終的には15年1月15日までに、全米で呼吸器疾患を発症してエンテロウイルスD68が検出された患者は49州で1153人となり、うち14人が死亡しています。これを受けて米疾病対策センター(CDC)は14年12月、「新たな感染症の脅威(New Infectious Disease Threats)」と題して列挙した四つの感染症の一つに、エンテロウイルスD68を挙げました(注5)。ちなみに他の三つは、エボラ出血熱ウイルス、中東呼吸器症候群(MERS)を起こすコロナウイルス、薬剤耐性菌です。列記されているこの三つの感染症の恐ろしさから考えても、エンテロウイルスD68のリスクの巨大さが想像できます。そして15年、そのリスクが日本でも突如、現実のものになり始めたのです。(後編に続く)

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注1:医学書院「医学大辞典」第2版(2009年2月)より

注2:WHOの報告はここにあります。

注3:医学誌「JAMA Neurology」2016年1月19日(オンライン版)掲載「Clinical Characteristics and Functional Motor Outcomes of Enterovirus 71 Neurological Disease in Children

注4:医学誌「The Lancet」2015年1月28日号(オンライン版)掲載「A cluster of acute flaccid paralysis and cranial nerve dysfunction temporally associated with an outbreak of enterovirus D68 in children in Colorado, USA

注5:CDCの報告はここで読めます。

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。