実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

HPVワクチン不信が生じた過程

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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理解してから接種する−−「ワクチン」の本当の意味と効果【16】

 ヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチンは2009年10月、日本で承認されました。その直後の同年12月、新潟県魚沼市が全国に先駆けて、10代前半の女児を対象に接種費用の全額公費助成を打ち出しました。私はこのニュースに大変驚きました。反対意見が出たという報道をほとんど聞きませんでしたから、魚沼市の大平悦子市長に強いリーダーシップがあったのでしょうか。

接種のためには丁寧な教育が必須

HPVワクチン接種の全額公費助成の発表から1年後、会見に臨む大平悦子・魚沼市長=2010年12月9日、神田順二撮影
HPVワクチン接種の全額公費助成の発表から1年後、会見に臨む大平悦子・魚沼市長=2010年12月9日、神田順二撮影

 この魚沼市の決定は評価されるべきことです。ワクチンは強制でなく希望者が無料でうてるわけですから市民にとってこれほどありがたいことはありません。しかし、HPVという病原体について、また、前回も述べたように「性交」「性行為感染症」について、そしてワクチンの必要性、安全性、有効性などについて、接種を受ける子供たちやその保護者に丁寧に説明していかなければならず、これはかなり大変なことです。

 「魚沼市が画期的な対策をとったけれど、同じことをできる自治体はそうないだろう」というのが、この時の私の率直な印象でした。ところがまたもや私の予想は大きく外れます。兵庫県明石市、東京都杉並区、栃木県大田原市が魚沼市と同様、希望者全員にワクチン接種を無料化することを発表し、ここから加速度的に全国的に広がっていくことになります。

定期接種化 ほかに優先すべきワクチンは?

 そして13年4月1日、HPVワクチン接種が厚生労働省により「定期予防接種」に加えられました。ここで「定期接種」と「任意接種」の違いについてまとめておきます。「定期接種」は法律に基づいたものであり、日本に住んでいればどこの自治体でも年齢などの条件をみたせば誰もが無料で接種することができ、副反応などの被害が生じたときには手厚い補償が受けられます。一方「任意接種」の場合は、魚沼市らがおこなったような自治体独自の助成制度がなければ全額自己負担になります。副反応がでたときの補償はありますが「定期接種」のときのような手厚いものではありません。

 HPVワクチンが定期接種に入ることが報道されたのはその半年ほど前でした。私はその報道を聞いたとき「驚き」よりも「憤り」を感じました。ワクチンが日本で承認されたとき、私は全面的に行政を評価する立場でした。しかし「定期接種化」決定の報道には耳を疑いました。理由は、前回述べたように「先に定期接種化するワクチンがいくつもあるだろう!」というものです。

副反応への注目 信じるべきは誰?

 ちょうどHPVワクチンが定期接種化されたころから、このワクチンの副反応の被害者が注目されるようになります。「被害者の会」の活動やマスコミ、一部のジャーナリストの報道で、次第に大きな問題として取り上げられるようになっていきました。そして、ワクチンが定期接種化されてわずか2カ月後の13年6月、厚労省は「子宮頸(けい)がん予防ワクチンの接種を受ける皆さまへ」というタイトルの注意勧告を出します。そこには「現在、子宮頸がん予防ワクチンの接種を積極的にはお勧めしていません」と記載されています。

HPVワクチンの積極的な接種呼びかけを差し控えることを決定した後、記者会見に臨む厚生労働省の担当職員=厚生労働省で2013年6月14日、遠藤拓撮影
HPVワクチンの積極的な接種呼びかけを差し控えることを決定した後、記者会見に臨む厚生労働省の担当職員=厚生労働省で2013年6月14日、遠藤拓撮影

 定期接種でありながら「積極的には勧めていない」。この意味不明な厚労省の態度が世間のワクチン不信を加速させることになります。医療者のなかにも「HPVワクチン慎重派」が現れ、「推奨派」との間に激しい論争が繰り広げられるようになっていきます。そしてこの「論争」は今も続いています。

 厚労省の言っていることは意味不明で、マスコミの主張もバラバラで、おまけに頼りになるはずの医師たちさえ意見が統一されていないこの現実。現在10代の少女たちやその保護者はどのように考えればいいのでしょうか……。

感染症の治療、予防は「知る」ことから始まる

 しかし、答えは実は“簡単”です。ワクチンの基本は「理解してから接種する」です。つまり、この複雑怪奇なワクチンとHPVという病原体について徹底的に理解すればいいのです。これは裏から見れば「理解するまで接種しない」ということでもあります。そして、理解した上で「接種する」「接種しない」という選択をすればいいのです。実際、私は診察室でHPVワクチンについて質問されたときは十分な時間をとって説明します。結果「接種する」人もいれば「接種しない」人もいます。「娘には3年後に接種させる」と答えた人もいます。それでいいのです。

 私は「医療プレミア」で感染症を担当していますが、日ごろの診察室では感染症だけを診ているわけではなく、感染症以外の疾患も多く診ています。すべての病気を「感染症」と「感染症以外」に分けるとすっきりする、というのが私の考えです。「感染症以外」の病気で私がよく診ているのが生活習慣病やアレルギー疾患です。これらは「知識」よりも「習慣」が重要です。「習慣」とは運動や食事、規則正しい生活、アレルゲンの回避、ストレスコントロールなどです。

 一方、感染症は「知識」がすべてです。「知識」さえあれば多くの感染症は未然に防げるのです。残念ながら、HPVは少々複雑であり、「命を救う5分の知識」というタイトルにはそぐいません。しかし集中して知識を得ようとする気持ちがあれば1時間程度で「理解」できます。

 次回からはHPVという病原体、HPVが引き起こす疾患、HPVワクチンなどについて分かりやすく説明していきます。

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。