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性暴力被害から考えるHPVワクチン

谷口恭・太融寺町谷口医院院長

理解してから接種する−−「ワクチン」の本当の意味と効果【20】

 前回は性交渉をおこなうまではヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチンは不要という考えが尊重されるべきだ、という話をしました。HPVワクチンは半年間で3回接種しますから、彼氏ができてからでも半年間プラトニックな関係を維持すれば問題ないということになります。けれども、あるとき突然ロマンスがやってくるということもあるかもしれません。恋愛初期のドキドキした関係のときにHPVワクチンや性感染症の話をおこなうのはきっと困難でしょう。ですが、HPVが子宮頸部(けいぶ)に感染するのはそれなりに深い関係になってからですから、それまでに2人で話をするきっかけを探せばいいのです。

 しかし世の中には予期せぬ不幸な出来事が起こりえます。「レイプ」です。

日本人の8%にレイプ被害の経験

 2014年11月14日、女性5人を強姦(ごうかん)したHIV(エイズウイルス)陽性の49歳の日本人男性に対し、横浜地裁は懲役23年の実刑判決を言い渡しました。この事件はさまざまなメディアで大きく取り上げられましたが、世の中のほとんどのレイプ事件は報道されません。HPV陽性の男性がHPVワクチンをうっていない女性にレイプをした、といった事件が報道されることはこれからもまずありません。

 レイプというと事件の陰湿性から日常会話で取り上げられることはありませんが、ある程度は正しい知識を持っておくことが必要です。今回はレイプの諸問題を取り上げます。

 まずは頻度です。12年4月発行の内閣府男女共同参画局による「男女間における暴力に関する調査報告書」によりますと、日本人の全女性の8%にレイプ被害の経験(異性から無理やり性交された経験)があります。

根強いデートレイプへの誤解

 レイプ被害者の内訳をみてみましょう。被害者の17.2%は「まったく知らない人」から被害に遭っています。14.9%が「顔見知り程度の人」、61.9%は「よく知っている人」の犯行です(「無回答」が6.0%)。一般にレイプと聞くと、暗がりを一人で歩いているときに知らない男性に襲われて……、というイメージがありますが、一番多いのは「よく知っている人」からのレイプなのです。ときにこれを「デートレイプ」と呼びますが、その実態については誤解が少なくありません。

 デートレイプと聞くと、女性も同意していたはずなのに後になって女性が「レイプされた」と文句を言っているだけ、と考えている男性がいまだにいます。しかし、デートレイプを軽視してはいけません。特に信頼されていた友達や上司に裏切られ、レイプされたというようなケースでは、被害女性はその後かなりの長期間にわたりPTSD様(注1)の症状に苦しめられることもあります。

 レイプで妊娠することもあります。「性暴力救援センター大阪(SACHICO)」の10、11年の集計によれば、2年間で受け入れた初診患者317人のうち34人(10.7%)が妊娠していたそうです。

 もちろん性感染症のリスクもあります。先に紹介したHIV陽性の男性からレイプの被害に遭った5人の女性は幸いなことに感染していなかったようですが、レイプに遭って性感染症をうつされることもあります。

重い口を開くレイプ被害者の患者

 実は太融寺町谷口医院の患者さんの中にもレイプの被害者は少なくありません。「レイプに遭いました」と言って受診される人はあまりいませんが、それでも年間1〜2人はそう言って受診されます。なかには緊急避妊を希望される人もいます。性感染症を懸念して受診される人もいますが、最も多いのは、レイプに遭ったことは口にせず体の不調を訴えて受診するケースです。吐き気が止まらない、動悸がする、眠れない、などの症状です。こういうケースでは治療をしてもうまくいかないことが多く、何度か通院されているうちに「実はレイプの被害に遭って……」と話をしてくれるようになります。

 話をして少し楽になったという人もいますが、薬をいくら替えても症状が取れないこともあります。精神科受診を勧めて紹介することもありますが、精神科を受診すれば何もかも解決するわけではなく、再び谷口医院に戻ってくる人も少なくありません。また一度しか受診しなかった人は、次々と医療機関を替えてドクターショッピングを繰り返している可能性もあります。実際、谷口医院の患者さんも前に何軒かのクリニックを受診している方が多いといえます。

 家庭、あるいは学校でレイプの話をすることは難しいに違いありません。また、レイプの被害に遭うかもしれないという理由からHPVワクチンの接種を検討するのはおかしなことだと思います。レイプを防ぐ努力を社会全体でおこなうのが先決だからです。

あってはならないが、現実に存在するリスク

 しかし全日本人女性の8%もの人が被害に遭っていること、妊娠や性感染症のリスクがあること、男性側に「加害者」の意識が欠落している場合が少なくないこと、被害に遭うと長期間にわたりさまざまな身体症状やPTSD様の精神症状に苦しめられることなどは理解しておかなければなりません。

 HPVは性交渉で感染する、という事実を踏まえたうえで、中学生は性交渉をするかもしれないから一律にワクチン接種、という発想より、「自分が性交渉を行うかもしれない」と思えるときまで、ワクチンは不要という考え方を私は尊重したい、と前回述べました。その考えが必然的に抱える「欠点」あるいは「リスク」として、レイプがあります。その事実は知っておいていただきたいと思います。

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注1:PTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉を簡単に使う人がいますが、この用語は本来戦争や震災などで命の安全が脅かされるような経験をした人に対して用いるべきものです。単につらいことがあっただけでは安易に使うべき用語ではありません。しかし、レイプに関してはその後苦しめられる精神症状については、私自身はPTSDと呼んでいいと思っています。

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太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。