実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

HPVワクチン定期化の費用対効果

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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理解してから接種する−−「ワクチン」の本当の意味と効果【23】

 私のような臨床医は患者さんひとりひとりのために存在しています。そして厚生労働省の官僚は国民に奉仕するために存在しています。この違いが分かりますでしょうか。官僚の立場であれば「最大多数の最大幸福」を考えなければなりません。つまり、国民ひとりひとりを見ているわけではなく国民全体を見据えているのです。「幸福」を数値で表すことはできません。ここで言う「最大幸福」とは、「支出を最小限にして平均寿命を延ばす」ということです。

厚労省の官僚はなぜHPVワクチンを定期化したのか

 つまり、ヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチンを定期接種化するにあたり、官僚は次の「支出」(出て行く費用)と「収入」(出て行かずに済む費用)のバランスを考えたはずです。

【支出】

(1)ワクチン代及びワクチン接種を広報するために必要な費用

(2)ワクチンの副反応が生じたとき、救済などのため必要になる費用

【収入】

(1)ワクチンを接種しなければ子宮頸(けい)がんを発症したであろう人たちの治療費

(2)ワクチンを接種しなければ子宮頸がんを発症したであろう人たちが与えたと予想される経済的損失(入院中は休職しなければならず、死亡すればその後の税収がなくなる)

(3)ワクチンを接種しなければ子宮頸がんを発症したであろう人たちの治療に携わる医療者(主に婦人科医)が他の患者の診察ができることによりもたらされる利益

(4)婦人科医の仕事が大幅に減少し、医師不足が緩和されることにより生じる利益

 「収入」の(3)(4)のように、直接的な費用ではない、社会的利益とでも言うものもありますが、ここでは便宜的にお金を扱うように「支出」「収入」と分類しています。

 それぞれをどのような根拠で算出したかは不明ですが、おそらくこれらを算出し、収入が支出を大幅に上回り、また同様の計算をB型肝炎ウイルス(HBV)や水痘ウイルスのワクチンでも行うと、HPVワクチンが最も「収入−支出」の額が大きかったがゆえに、HPVワクチンの定期接種化が他のワクチンより早くなった。これが私の「予想」です。HPVワクチン定期化を聞いて、「少なくともB型肝炎と水痘が先だ!」と憤りを感じた私も、行政の立場に立てば同じ判断をしたかもしれません。

 しかし「誤解だらけのB型肝炎ウイルス【1】」の回で紹介したHBVの「佐賀県保育所集団感染」のことを考えると、支出と収入のバランスを考慮しても、私にはHBVの方が定期化は先なのではないかと思えます。また、水痘は幼少時に感染すると軽症ですみますが、他の多くの国で日本人が開発したワクチンが定期化されているのに、なぜ日本ではHPVに先を越されたのか、という疑問は今も残っています。

中学1年生を対象とした背景は

 「何歳の女性に接種するか」についても、官僚によって綿密な計算が行われたはずです。2007年4月にオーストラリアが世界に先駆けてHPVワクチンを定期化したときは「12歳から26歳の女性であれば無料」でした。09年12月に新潟県魚沼市が日本で初めてHPVワクチン接種を無料にした時は「10代前半の女子の希望者は無料」でした。

 厚労省が定期化を決めるとき、いくつもの案が出され、最終的に「中学1年生」と決まりました。この背景には、国、つまり官僚に「女子生徒はいつ性交渉を開始するか分からない。HPVに感染してからでは効果が落ちるからできるだけ多くの生徒に性交渉の開始前にうっておきたい」という思惑があったのだろうと思います。そこには、当事者である女子中学生たちが「性のことを自分自身でよく考えて、性交渉を始める前にうてばいい」という発想は見えてきません。「全体でみれば中学1年で全員がうつのが最も費用対効果が高い」と判断したと考えるのが、私にはもっとも納得のいくストーリーです。

官僚の「最大多数の最大幸福」を追及する役割

 厚労省の官僚が国民のためを思って日々働いているのは事実ですが、彼らの仕事の特性からして、決して私たちひとりひとりの顔を見て仕事をしているわけではありません。あくまでも「最大多数の最大幸福」、より具体的には「少ない医療費で平均寿命を延ばすこと」を目標に、さまざまな施策を考えています。それは決して間違いではなく、官僚が特定の国民のことを考えて仕事をすれば、それこそ大きな間違いです。

 中学1年生になればHPVワクチンをうちましょう、という案内が回ってくるのは地方自治体からです。では地方自治体は私たちひとりひとりのことを考えてくれているのでしょうか。これも答えは「否」でしょう。自治体は厚労省が決めた方針には基本的に逆らえませんから、HPVワクチンについても国の決定に従うだけです。ですから「ワクチンをうちましょう」と案内します。しかし、国に比べれば身近な存在である市町村の職員であっても、その仕事は必ずしも私たちひとりひとりを見て行うものであってはいけないのです。もちろん自治体職員も、厚労省の官僚同様「全体の奉仕者」として地域社会に貢献することを誇りに思っているはずですが、彼らは「私やあなた、その家族への奉仕者」ではありません。

役所はあなた個人を守ってはくれない

 ではどうすればいいのでしょうか。結局、自分の身は自分で守ることです。厚労省にも自治体にも優秀な官僚、職員がいて、専門的な知識を持つ医師も多数います。彼らはいろんなことを考えていますが、「あなた」だけのために考えるわけではない、ということです。感染症は知識で防ぐことができます。そして、得なければならない知識のひとつに「副反応」があり、HPVワクチンの最大の争点はここにあります。次回はワクチンシリーズの最終回とし「副反応」の考察をおこないます。

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト