実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

ワクチン接種する/しない 学んだ上で判断を

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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理解してから接種する−−「ワクチン」の本当の意味と効果【24】

 2013年4月に定期接種化されながら、わずか2カ月後に厚生労働省が「積極的にお勧めしていません」という異例の勧告を出したヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチン。そして現時点(16年8月)も、この状況は変わっていません。日本のこの不可解な対応に諸外国は懸念を示し、ついに世界保健機関(WHO)は15年12月、日本の対応を批判する声明を出しました(注1)。

 WHOのコメントを簡単にまとめると、「専門家から構成される調査会が、ワクチン接種後の『副反応』はワクチンに何ら関係がないという結論を出したのにもかかわらず、ワクチンの接種が再開されていない。予防が可能であるのにもかかわらず、日本政府は若い女性をHPV関連のがんの危険にさらしている」となります。

 また、日本産科婦人科学会は15年8月29日、「子宮頸(けい)がん予防ワクチン(HPVワクチン)接種の勧奨再開を求める声明」というタイトルで学会としての声明文を発表しています(注2)。さらに16年4月18日には、同学会のほか日本小児科学会、日本感染症学会など関連する17の学術団体が「接種推進に向けた関連学術団体の見解」を出し、「ワクチンの積極的な接種を推奨します」との見解を示しました(注3)。

WHOや学会はどうしてワクチンを推奨するのか

 HPVワクチンを接種すべきか否かは「公衆衛生学的には」自明です。「公衆衛生学的には」というのは、前回述べた「最大多数の最大幸福」と同じことです。WHOのミッションは「世界中の疾患を減らし世界の市民の寿命を延ばし健康増進を図ること」ですから、WHOの職員は世界中の若くしてがんで命を落としていく女性を一人でも多く救いたいという強い気持ちを持っているはずです。私がWHOの職員ならやはり日本政府を批判すると思います。

 また17団体に関係している医師たちはこれまでに若くして悲惨な転帰をたどったがん患者の不幸な事例を多く経験しているわけですから、やはり公衆衛生学的に有効とされているワクチンを推奨したくなるのは当然です。

原因を追究するか、結果に重きを置くか

 ですがワクチンには「副反応」が伴うことがあるのも事実です。どのようなワクチンも副反応は完全にゼロではありません。ここで問題になるのが「因果関係」です。HPVワクチン接種後に、慢性の疼痛(とうつう)、身体のしびれ、けいれん、意識消失などが複数報告されています。厚労省の副反応追跡調査によると、14年11月までに何らかの副反応疑いの報告があったのはワクチンを接種した人(約338万人)の約0.08%にあたる2584人でした。調査時点で未回復だった人は186人で、全体の約0.005%。約2万人に1人という割合です(注4)。一般論として、こういった症状が、ワクチンが原因か否かというのを証明するのは極めて困難です。ワクチンが原因であることを示すのも困難ですし、ワクチンが原因でないと立証するのも困難です。

 WHOが表明しているように、日本では専門家による調査会がワクチンの成分とこれらの症状の因果関係は否定しています。14年1月20日、厚労省厚生科学審議会の「予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会」と「薬事・食品衛生審議会医薬品等安全対策部会安全調査会」が合同会議を開き、HPVワクチンの副作用は、「心身の反応により惹起(じゃっき)された症状が慢性化したものと考えられる」と結論付けて、これを公表しました。この公表は大変な物議を醸し、いったんネット上で公開されたページはすぐに削除されました。

 激しい論争が起こるのはワクチン推進派、慎重派が一見同じものを見ているようでありながら実は異なるものを見ているからだと私は考えています。ワクチン推進派は副反応の「原因」を追求しています。一方、ワクチン慎重派は「原因」ではなく、ワクチン接種後に生じた「結果」に重きをおいています。慎重派からすれば「原因の信ぴょう性はともかく、結果としてワクチン接種後に苦しんでいる少女がいるではないか」となりますし、「心身の反応」などと言われれば、被害者がまるでうそを言っているみたいではないか、という気持ちになります。

 因果関係はあることを証明するのも、ないことを証明するのも困難です。できたとしてもかなりの時間が必要となります。一方で、ワクチン接種後に望ましくない症状が起こっているのは、たとえその原因が「心身の反応」であったとしても事実なわけです。であるならば、まずこれまでにどういった副反応がどの程度の頻度で生じているのかを把握して、同じような確率で誰にでも起こるかもしれない、と考えるのが最も賢明な方法です。

無過失補償制度が必要ではないか

 ひとつ、日本の行政の問題を指摘しておきたいと思います。それは日本にはワクチンの「無過失補償制度」がないということです。現状では、ワクチン接種後に問題が起こったとき被害者はその原因がワクチンであることを立証しなければなりません。そのために何人もの専門家を訪れて、ときには法律家の手を借りなければなりません。被害者にとってそのようなことをしなければならないのは時間的にも費用的にも大変です。欧米諸国に存在する無過失補償制度は、ワクチン製造者や国の過失を追及せずとも接種後の症状に対して補償してもらえるシステムです。

 日本のワクチンの歴史を振り返ってみると、ワクチンシリーズ第7回「おたふくかぜのワクチン、本当に不要?」で述べたように、ムンプス(おたふくかぜ)のワクチンは無菌性髄膜炎の発症が多いという理由で、定期接種から任意接種に「格下げ」されました。日本脳炎ワクチンは、04年に山梨県の14歳の女子がADEM(急性散在性脳脊髄<せきずい>炎)と呼ばれる意識障害や手足がまひする病気になったことを受けて、05年、厚労省は「現行のワクチンでの積極的推奨の差し控えの勧告」をおこないました。

 しかしこれらは現在のHPVワクチンほど大きな論争になりませんでした。現在WHOは日本政府の対応を批判し、大勢の医師たちが大勢の少女を救いたいという一心でワクチン再開を望み、また一方では依然症状に苦しめられている被害者がいて、医師のなかにも慎重派がいます。当分の間この「論争」は沈静化することはないでしょう。これだけ大きな論争になってしまったわけですから、これを契機に日本でも無過失補償制度が採用される動きが出てくることを期待したいと思います。

 さて、HPVを中心に、これまで合計24回にわたりワクチンで予防できる感染症を取り上げてきました。このコラムのタイトルのように「命を防ぐ5分の知識」というわけにはいきませんが、これまで述べてきたことをもう一度復習していただき、あなた自身、あなたの家族がHPVというこの複雑怪奇なウイルスにどう取り組むか、そして他に接種すべきワクチンはないのか、といったことを考えてもらえれば幸いです。

 ワクチンは理解してから接種する、が原則です。これは裏返してみれば、「理解した上で接種しない」という選択もあり得るということに他なりません。麻疹(はしか)や水痘、そしてHPVについても、私はワクチンの有用性について詳しく述べましたが、これはあなたにワクチンを押し付けようとしているわけでは決してありません。正しい知識を充分に吟味した結果、最終的にあなたが「接種しない」という選択をされたなら、私はその考えを尊重します。

 もしもワクチンで分からないことや疑問に思うことがあるなら、納得できるまで、あなたのかかりつけ医に聞くことが大切です。感染症に対する最大の武器は「知識」なのですから。

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注1:WHOの声明はこちらで読めます。

注2:日本産科婦人科学会の声明はこちらで読めます

注3:見解はこちらで読めます。

注4:厚労省のこちらのページが参考になります。

谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト