実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

薬剤耐性菌を生む意外な三つの現場

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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抗菌薬の過剰使用を考える【1】

 デング熱、ジカ熱、新型インフルエンザ、エボラ出血熱など、感染症というのはネーミング自体が何やら恐ろしい印象を抱かせます。しかし、これらは流行地が限定されていたり、虫よけスプレーが有効であったり、ワクチンが開発されていたり、とこのコラムのタイトルにある通り、知識を身につけることで予防ができます。

2050年、世界で年間1000万人の命を奪う薬剤耐性菌

 一方、知識だけでは簡単に防げず、しかも病気を治してもらえるはずの医療機関で感染してしまう感染症があります。それが「薬剤耐性菌」による感染症です。薬剤耐性菌とは、それまで簡単に死滅させることができた抗菌薬を投与しても死ななくなった細菌のことです。特定の種の細菌を指すのではなく、抗菌薬を無効にする遺伝子を獲得して、生き延びる能力を得た細菌の総称と考えた方が分かりやすいでしょう。薬剤耐性菌の問題はここ数年でかつてないほど深刻化しています。2013年の薬剤耐性菌による世界での死者は約70万人とされており、50年にはなんと1000万人を超えるとする推計もあります。

 現在医療現場で最も問題となる薬剤耐性菌の一つに「カルバペネム耐性菌」があります。これは薬で殺すことができない薬剤耐性菌が次々と現れる中、「最後の切り札」として使われてきた「カルバペネム」という抗菌薬が効かなくなった薬剤耐性菌のことです。「最後の切り札」が効かないわけですから、治療に非常に難渋します。実は、コリスチンという日本人が1950年代に開発した抗菌薬はカルバペネム耐性菌にも有効なのですが、副作用が多く使いにくい欠点があります。それでもほかに手がないため、カルバペネム耐性菌に感染した患者さんの治療には、やむを得ずコリスチンが使われるのですが、15年11月には中国の養豚場でコリスチン耐性菌がみつかり、16年5月には米国でカルバペネムもコリスチンも無効という症例が出てきました。また、日本でも16年6月に開催された日本化学療法学会でコリスチン耐性菌の感染症例が報告されました。

 薬剤耐性菌は世界中の医療現場で喫緊の課題となっています。16年5月におこなわれた主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)の首脳宣言にも、各国で協調して対策に取り組むことが盛り込まれました。日本はホスト国のプライドからなのか、サミット開催に先立つ16年4月1日の閣議で「抗菌薬の使用量を20年までに現状の3分の2に減らす」とする行動計画案を発表しました。報道によれば、「医療機関向けに抗菌薬使用の指針などをつくる」そうです。

G7サミット・ワーキングセッションに臨む安倍晋三首相(手前左)、バラク・オバマ米大統領(同右)ら=三重県志摩市で2016年5月27日午前9時18分(代表撮影)
G7サミット・ワーキングセッションに臨む安倍晋三首相(手前左)、バラク・オバマ米大統領(同右)ら=三重県志摩市で2016年5月27日午前9時18分(代表撮影)

処方箋なしで1錠から購入可 アジア諸国の野放しぶり

 薬剤耐性菌が生まれる背景には、抗菌薬の過剰使用という問題があります。この「抗菌薬を使いすぎている」ことが語られるとき、マスコミも行政も一般の世論も、そして医師自身でさえも「医師が抗菌薬を処方しすぎている」と言います。私はこれに異論があり、その理由を論じたいのですが、これは次回お話しします。今回は国内の医療現場以外での抗菌薬過剰使用の問題を考えてみたいと思います。

 まず一つ目はアジア諸国での乱用です。「人のふり見て我がふり直せ」ということわざもありますが、抗菌薬に関しては、日本人は日本人に注意を促す前にアジア諸国に忠告すべきだと私は考えています。日本では抗菌薬は薬局では買えず医療機関でしか処方できません。ところがアジア諸国では「野放し」という表現がピッタリです。例を挙げましょう。

 現在最も厄介な薬剤耐性菌のひとつに「NDM-1」があります。NDM-1というのは、細菌が持つ酵素の名前で、この酵素を持つ細菌には既存のどの抗菌薬も無効です。(「NDM-1を持った細菌」が正確な理解ですが、便宜上、細菌自体をNDM-1と呼ぶことにします)

 NDM-1のNDはニューデリーのことです。つまりNDM-1はインド発の薬剤耐性菌なのです。そしてインドでこの薬剤耐性菌が生まれた原因は、インドでは抗菌薬が過剰使用されているからです。たとえば美容外科手術を安く受けられるためにヨーロッパから手術目的でインドに渡航する人が大勢いて、そこで抗菌薬が過剰使用されていることが欧米メディアで指摘されたことがあります。原因はこれだけではありません。美容外科手術で使われる抗菌薬は医師が処方しているでしょうが、インド、また他のアジア諸国では、抗菌薬が医師の処方箋なしで誰でも薬局で簡単に買えます。タイにいたっては屋台で売っている光景を見たこともあります(本物かどうか疑わしいですが)。

 私は一度フィリピンの薬局で、「希望すればペニシリン1錠でも売ってくれるのか」と質問すると「OK」と言われました。当連載の「あなたは恐ろしい『耐性菌』を生み出していませんか?」の回で述べたように、抗菌薬は種類の選択も処方量・日数の選択も簡単ではありません。そもそもその症状に抗菌薬が適しているかどうかも疑わしいわけで、個人が薬局で抗菌薬を購入するなど、我々の感覚からすれば「異常事態」です。

日本での「野放し」個人輸入

 一方、日本では処方箋なしに薬局で抗菌薬を購入することはできません。ならば薬剤耐性菌予防対策の優等生なのでしょうか。そうでもありません。私が思う日本での最大の問題は「個人輸入」です。これが抗菌薬過剰使用の二つ目の問題です。薬物の個人輸入は麻薬や覚醒剤でない限りは違法ではないそうですが、私は抗菌薬の個人輸入を禁止すべきだと考えています。いくつか薬剤の個人輸入代行のウェブサイトを見てみると、多くの抗菌薬がごく簡単に買えることが分かります。しかも、医療機関でもよほどの重症例でない限り処方しない貴重な抗菌薬までもがクリック一つで購入できるのです。

 一例がニューキノロン系抗菌薬です。重症例にしか処方すべきではないニューキノロン系の中でも極めて強力なシタフロキサシン(商品名・グレースビット)やモキシフロキサシン(同・アベロックス)がネットで誰でも簡単に買えます。これらの抗菌薬が必要な症例はごくわずかで、太融寺町谷口医院では年に一度処方することがあるかないかです。個人的には、法的に麻薬と同程度の管理をすべきだと考えています。

家畜を育てるために使われる抗菌薬

 医療現場以外での抗菌薬過剰使用の三つ目の例は畜産の現場で起きています。抗菌薬は細菌感染を治療するために使うものですが、畜産業では異なる目的で使われます。治療用途よりも少量の抗菌薬を餌に混ぜると家畜の体重が増加し、成長が速くなるのです。つまり家畜の「成長促進」のために抗菌薬が使われ、薬剤耐性菌を生み出している可能性があるのです。前述したコリスチン耐性菌は中国の養豚場で見つかっています。

 中国だけではありません。米国の医師マーティン・J・ブレイザー著「失われていく、我々の内なる細菌」(みすず書房)によれば、スウェーデンでは86年に成長促進目的での抗菌薬の使用が禁止され、欧州連合(EU)も99年に追随しましたが、アメリカでは現在も販売されている抗菌薬の7~8割が家畜に使用されています。家畜に抗菌薬が大量に使われる弊害は薬剤耐性菌のリスクだけではありません。「失われていく……」によれば、米国のスーパーマーケットで売られている牛乳にはコップ2杯分で約50ugの抗菌薬「テトラサイクリン」が含まれているそうです。テトラサイクリンは小児には使ってはいけない抗菌薬です。

抗菌薬過剰使用=薬剤耐性菌発生を防ぐ三つの対策

 伊勢志摩サミットでは「畜産業で成長促進のために抗菌剤を使用することを段階的に廃止する」(注1)という合意が得られました。米国のオバマ大統領がこれに合意したことには大きな意味があると思います。日本でも成長促進効果のために家畜に抗菌薬が使われてきましたが、現在農林水産省は指針を発表しています(注2)。これは評価できると思います。

 私が思う医療現場以外での抗菌薬過剰使用対策は、(1)アジア諸国での過剰使用に注意を促す、(2)抗菌薬の個人輸入を禁止する、(3)家畜の成長促進目的の抗菌薬使用を中止する、です。

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注1:「国際保健のためのG7伊勢志摩ビジョン」で述べられています。

注2:農林水産省のサイトで関連する詳しい資料が読めます。

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。