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「ハグ&スマイル」に命をかけて

谷口恭・太融寺町谷口医院院長

エイズという病を知っていますか?【11】

 千葉県出身の鈴木真実さん(50)は2年前の2014年まで、タイを拠点に孤児、エイズ患者、障がい者などに対するボランティア活動をおこなっていました。精力的に活動を続ける鈴木さんがタイでつくったのが財団法人「HUG & SMILE Foundation」です。日本で言う特定非営利活動法人(NPO法人)のようなもので、タイではNPOに法人格が与えられないために、財団法人の形を取ったのです。法人であれば費用はかかりますが、現地で活動するうえで何かと便利なことがあります。

タイ・パバナプ寺でエイズ患者に話しかける鈴木さん=2016年5月、鈴木さん提供
タイ・パバナプ寺でエイズ患者に話しかける鈴木さん=2016年5月、鈴木さん提供

 しかし、現在の鈴木さんの住所は実家がある千葉県です。タイに渡航するのは月に1週間だけです。もちろん、鈴木さんにはやりたいことが山のようにありますから、本当はタイにずっと滞在していたいはずです。財団法人を設立した目的の一つは長期滞在できるビザが取得できることでしたから。

 鈴木さんがタイに長期滞在できない理由、それは持病があるからです。14年夏、体調不良を自覚した鈴木さんは、バンコクの「HUG & SMILE」の事務所近くの病院を受診しました。診断は「再生不良性貧血」。極めて難治性の疾患で、有効な治療法があるとは言えないものです。

 この連載の「エイズという病を知っていますか?」というシリーズでは、私がボランティア活動を続けているタイのHIV(ヒト免疫不全ウイルス)、エイズにまつわる状況、日本の医療機関を舞台にしたHIV陽性者への差別、そして最新の治療法、感染予防法などを紹介してきました。今回は、少し毛色の違う“番外編”です。ぜひ読者の皆さんに、鈴木さんの生き方を、鈴木さん自身を知ってほしい、という思いで書きました。

再生不良性貧血 大きなリスクを抱えながら

 現在の鈴木さんは1週間に一度のペースで輸血を受けなければなりません。再生不良性貧血という疾患は、赤血球、白血球、血小板のいずれもが減少します。鈴木さんの場合、血小板の数値の低下が顕著であり、1週間に一度のペースで血小板輸血をおこなっても、次の輸血の直前には血小板の数値がなんと3000にまで下がります。健康診断などで血小板の「基準値」とされる数値を見ると、たいてい13万~37万などと書いてあると思います。鈴木さんのこの数値だと、転倒したり、冗談であっても軽くたたかれたりすれば、出血が止まらなくなり大変なことになります。そのため、バンコクから成田空港に帰ってきたときは空港で車いすを用意してもらい、次の輸血を受けるために空港近くの病院を速やかに受診しています。

パバナプ寺の女性病棟でエイズ患者の女性に手を握られる鈴木さん=2016年8月、筆者撮影
パバナプ寺の女性病棟でエイズ患者の女性に手を握られる鈴木さん=2016年8月、筆者撮影

 再生不良性貧血では白血球も低下します。これが意味するのは、感染症に対して脆弱(ぜいじゃく)になる、ということです。健康な人であれば数日休めば回復する、発熱やせきを伴う風邪のような感染症であっても、鈴木さんが感染すると重症化する可能性があり、重症化すれば鈴木さんがボランティアとして接するエイズ孤児やエイズ患者さんに感染させる可能性が出てきます。逆に当然ですが、患者さんから感染するリスクもあります。ボランティア活動で患者さんからHIVに感染することはありませんが、エイズを発症している人は結核やカリニ肺炎を高率に発症しています。それらの病原体に鈴木さんが感染するとまた大変なことになります。

エイズ患者を抱き締めることの決意

 16年8月18日、私は鈴木さんと共に世界最大のエイズホスピス「パバナプ寺」、さらにそのパバナプ寺が開発した巨大な施設、通称「セカンドプロジェクト」と呼ばれるコミュニティーを訪れました。二つの施設にはエイズ孤児、HIV陽性者やエイズ患者の人が大勢暮らしています。

 パバナプ寺のスタッフが鈴木さんを見つけると「マミ、マミ」と言って寄ってきてハグしようとします。これだけならいいのですが、エイズの患者さんまでもが鈴木さんにハグしようとするのです。この光景を見た医師は例外なく度肝を抜かれます。まともな医師なら、直ちに抱き合っている二人を引き離して鈴木さんに説教するでしょう。「あなた、自分の病気のことがわかっているのか!」と叱らなければならないところです。しかし、私にはそれができませんでした。

パバナプ寺でエイズ患者と記念写真に納まる鈴木さん=2015年10月、鈴木さん提供
パバナプ寺でエイズ患者と記念写真に納まる鈴木さん=2015年10月、鈴木さん提供

 実は、私は14年夏、つまり再生不良性貧血の診断がついた時点で鈴木さんから相談を受けていました。私の助言はもちろん「エイズ施設に出入りすべきでない」というものです。しかし私は主治医ではありませんから、これを決めるのは最終的には本人と、責任を持って助言する立場にある血液内科の主治医です。私は、主治医がエイズ施設訪問の許可をするはずがない、と考えていました。しかし、私の予想に反して主治医は許可したのです。もちろんこれは苦渋の決断だと思います。おそらく他の医師から非難されることを覚悟で許可されたのでしょう。この決断を是とするか非とするかは意見が分かれるでしょうが、私はこの医師の決断を尊重したいと思います。そして何よりも病態の危険性を理解した上でボランティアを続けることを決意している鈴木さんに敬意を払っています。

「ハグ&スマイル」という生き方

 タイの施設の患者さんたちは、鈴木さんを見かけると皆、笑顔になり、近づいてきます。寝たきりの患者さんは「早くこちらにも来てよ……」と言いたげに鈴木さんに視線を送ってきます。重症病棟では鈴木さんは、一人一人の話を聞いてハグをします。入所したばかりで鈴木さんと初めて会うという患者さんも、じっと鈴木さんを見ています。そしてベッドサイドにやってきた鈴木さんに、いろんなことを話します。初めての会話のはずなのに、鈴木さんはもう何年も前からその患者さんのことを知っているかのようです。

 私は鈴木さんの患者さんへの接し方だけではなく、タイ語が相当堪能なことに驚きました。しかし意外なことに、鈴木さんはタイ語の勉強を本格的にしたことがなく、文字は読めないと言います。ちなみに私はタイ語の文字はある程度読めますが、会話力は鈴木さんの足元にも及びません。「それだけタイ語ができると患者さんのことを詳しく知ることができますね」という私の言葉に対し、意外な答えが返ってきました。

パバナプ寺の男性病棟でエイズ患者に言葉をかける鈴木さん=2016年8月、筆者撮影
パバナプ寺の男性病棟でエイズ患者に言葉をかける鈴木さん=2016年8月、筆者撮影

 「そうですね。けど私はタイ語がほとんどできないときから、患者さんとコミュニケーションをとるのが好きだったんです。患者さんと話しているとどんどん言葉が覚えられるんです。私のこのタイ語は患者さんのおかげなんです……」

 病気が今後どのような展開をとるかを「予後」と言います。鈴木さんは自分の「予後」を理解しているはずです。そして、それを踏まえた上で、現在の活動を続けるという決断をされたのです。可能な限り鈴木さんを支援したい……。それが私の思いです。

【HUG & SMILE Foundation ウェブサイト

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太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。