実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

日本脳炎の大流行を危惧する二つの理由

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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「世界一恐ろしい生物=蚊」の実態を知る【11】

 そんなはずはない! 誤報ではないのか……。

 これは2016年秋、長崎県対馬市で4人の日本人が日本脳炎を発症したという報道を聞いたときに私が最初に感じたことです。なぜ私がそのニュースを「誤報」と思ったのか。それは対馬には家畜のブタはいないからです(注)。

 日本脳炎の感染経路は、ブタ→蚊(コガタアカイエカ)→ヒトです。ヒトからヒトへの感染はありません。ですから、ブタがいない地域では日本脳炎の心配は不要です。そのため、「日本では日本脳炎の予防が必要と聞いた。ワクチンをうってほしい」という外国人からの問い合わせを受けたとき、私は「養豚場を見学したり、その近くに行ったりしないのであればワクチンは不要です」と説明しています。

ブタがいない対馬で日本脳炎発症のミステリー

 地理的に考えて、対馬にコガタアカイエカは生息しているでしょうが、ブタがいないわけですから日本脳炎ウイルスに感染するはずがないのです。私がニュースを聞いて「誤報」と瞬間的に感じ、事実として推測したのは「対馬から他の地域に旅行に行って感染した人が、対馬に戻って来てから発症したのだろう」というストーリーでした。

 しかし報道をよく読めば、長崎県が正式に発表したと書かれています。行政が不十分な調査でこのような発表をすることはないと思います。数社の報道を確認してみましたが、日本脳炎ウイルスの抗体を有するブタが対馬で見つかったという記載はありません。ではなぜ日本脳炎が対馬で発症したのか。現在最も有力な仮説は「イノシシ」が媒介したというものです。長崎県と国立感染症研究所もイノシシが感染源である可能性があると見て、調査を始めるという報道はありましたが(16年10月4日付長崎新聞)、私の知る限り、このコラムの掲載時点で対馬のイノシシからウイルスの抗体が検出されたという報告はありません。

 最初の驚きは「なんでブタがいない対馬で……」だったのですが、次に、そしてさらに大きな驚きだったのは「同時期に4人の日本人が発症した」ということです。県の発表によれば、4人には行動範囲などに共通点がなく、集団感染や院内感染の可能性は否定されています。しかし、院内感染はともかく「集団感染」はないと言い切れるでしょうか。メディアはその後大きく取り上げませんが、私は「対馬で同時期に4人が発症」という事実に大きな危機感を覚えています。

「対馬で同時に4人が発症」が示す危険な意味

 日本脳炎はウイルスに感染しても全員が発症するわけではありません。ほとんどが感染してもまったくの無症状です(これを「不顕性感染」と呼びます)。発症するのは感染症の100~1000人に1人と言われています。対馬市の公式サイトによれば、2010年の国勢調査に基づく同市の人口は3万4407人です。4人が同時に発症したということは、単純計算で400~4000人が感染したということになり、それは最大で住民の10%以上が感染したという意味です。定義にもよりますが、住民の1割以上が感染したとなると「集団感染」と言えなくもありません。

 イノシシはブタとは異なり、通常は「野生」です。家畜のブタのようにウイルスの抗体陽性率を調べることは容易ではありません。おそらく対馬全域の生息数を正確に把握することすら不可能でしょう。4人の発症者がいて、全員に行動の共通点がなく、高い不顕性感染率を考慮すると、対馬全域のイノシシが体内に高い確率で日本脳炎ウイルスを持っていると考えるべきではないでしょうか。

 そして、イノシシが生息しているのは対馬だけではありません。九州だけでもありません。関西では山間部にはいくらでもいますし、東京都内でも市街地に現れて騒ぎになった報道を時折見かけます。これまでは、日本脳炎はブタに近づかなければ心配無用でしたが、この常識はすでに覆されたのかもしれません。

韓国では警報が発令、日本では増えるブタの抗体陽性率

 もう一つ、日本脳炎の流行を危惧している理由があります。それは、16年夏、韓国全土で日本脳炎の警報が出されたことです。現地の新聞の英語版によれば、16年7月7日に釜山で採取された蚊の64.2%がコガタアカイエカで、総数は500匹以上になるそうです。この結果を受けて「警報」が発令されました。韓国の規定では、採取した蚊の半分以上かつ500匹以上がコガタアカイエカであった場合、日本脳炎の「警報」が出されるそうです。なお、韓国では15年に40人が日本脳炎を発症し、01年以降最多を記録しています。

 対馬と釜山は目と鼻の先です。1日何便もフェリーが往復し、高速船を使えばわずか70分で行くことができます。渡航者の荷物にコガタアカイエカが紛れていてもなんら不思議はありません。しかし私は「日本脳炎ウイルスを体内に保持したコガタアカイエカが韓国から日本に入ってきたのだろう」と言いたいわけではありません。

 数年前から日本でも、特に西日本でブタの日本脳炎ウイルスの抗体陽性率が高いことが指摘されています。実際、16年7月には沖縄県が日本脳炎ウイルスに対する注意喚起を発表、同月に高知県でも、さらに8月には熊本県でも注意報が発令されました。西日本の広い領域で日本脳炎のリスクが上昇し、それが韓国に波及した可能性、つまりウイルスを保持したコガタアカイエカが日本から韓国に移動した可能性もあると思います。

国際的な調査・対策が必要では

 韓国全土での警報発令、対馬での同時期の4人の感染、西日本での注意報や注意喚起、そして韓国と日本の地理を考えると、日本と韓国が共同で日本脳炎対策をすべきではないかと思います。

 正確に言うと、日本と韓国だけで気を付けていればいいわけではありません。最も注意しなければならないのは中国を含む東アジア、そしてタイやフィリピンを含む東南アジアです。16年は「蚊」がもたらす恐怖の病としてジカ熱がクローズアップされ、日本人女性がフィリピンで蚊に刺されデング熱で命を落としました。一方、日本脳炎はあまり注目されておらず、「世界一恐ろしい生物=蚊」がもたらす「死に至る病」であるこの疾患に対して多くの日本人が無防備です。次回は日本脳炎という病気とそのワクチンについて詳しく述べていきます。

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注:編集部が対馬市役所の担当者に確認しました。「ここ数十年、対馬にはブタは1匹もいない」とのことです。

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。