実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-

ジカウイルス 無症状ゆえに生じる恐怖

谷口恭・太融寺町谷口医院院長
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「世界一恐ろしい生物=蚊」の実態を知る【14】

 ブラジルやボリビアでの流行を受けて、世界保健機関(WHO)がジカウイルス(注1)を「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」に指定したのは、今から1年前の2016年2月1日です。一時は開催中止も懸念されたリオデジャネイロ五輪も無事終わり、立て続けに報告された日本人の感染者の話も聞かなくなり、そして16年11月18日にはWHOが「緊急事態」を解除しました。

8割が無症状…ジカウイルス恐るるに足らず?

 南米でのアウトブレイク(限定された範囲内での感染の大流行)が報じられた頃は、ジカウイルスがどれくらい厄介な感染症なのか、世界的にも十分知られていませんでした。ウイルスを媒介するのはデング熱やチクングニア熱と同じ、ネッタイシマカとヒトスジシマカであることは分かっていましたが、デング熱のように死亡することはあるのか、チクングニア熱のように症状が慢性化することはあるのか、といったことは未知だったのです。その後の調査であきらかになったのは、感染しても約8割はまったく無症状(不顕性感染)で、症状が出ても軽症、死亡することはほとんどなく、(チクングニア熱のような)慢性の関節痛に悩まされることもないということでした。

 では、ジカウイルスはデング熱やチクングニア熱よりも「軽い」感染症と捉えていいのでしょうか。結論を言えば「NO」であり、総じていえば、これらよりもはるかに“恐怖”の感染症なのです。その理由はギラン・バレー症候群を起こし得ることと、妊婦が感染すれば胎児に先天異常が起こり得ることなのですが、事はそれほど単純でないことが最近、分かってきました。

 現時点で日本ではウイルスを持ったヒトスジシマカが発見されたという報告はありませんが、ジカウイルスは日本人も注意しなければならない感染症であるのは間違いありません。それは、海外に行かなければ安心というわけでもなく、十分な蚊対策をしていればよい、というものでもないのです。その理由を最新の研究成果から説明しましょう。

ジカウイルス感染症の流行を受け、入国者への注意喚起掲示が行われていた成田空港=2016年2月15日、山本晋撮影
ジカウイルス感染症の流行を受け、入国者への注意喚起掲示が行われていた成田空港=2016年2月15日、山本晋撮影

性感染症としてのジカウイルスの実態

 この連載の「ジカ熱拡大【後編】感染防止のカギと合併症」の回で、米国テキサス州で報告されたジカウイルスの性感染についてお伝えしました。その時点では「性感染があり得る」ことは分かっていましたが、どの程度予防すべきかといった詳しいことは不明でした。16年4月1日、米国疾病対策センター(CDC)が発表した暫定指針(Interim Guidance)では、妊娠している女性に対し「あなたの男性パートナーがジカウイルスの流行地域に渡航したなら、禁欲するか、性行為を持つなら、それが膣(ちつ)交渉でもアナルセックスでもオーラルセックスでもコンドームを使用すべきだ」という見解を発表しました。

 この指針を順守するだけならそれほど難しくはないでしょう。なぜなら「妊娠中」「流行地に渡航」というとても分かりやすい条件がついているからです。ところが、これだけでは不十分であることが判明しました。そのきっかけとなった三つの症例を報告します。

 16年7月22日、CDCは、ニューヨークで女性から男性へのジカウイルスの性感染が疑われた症例を報告しました。ジカウイルス流行国から帰国したニューヨーク在住の20代女性が、帰国日に渡航歴のない男性パートナーと性行為を持ち、その日より頭痛が生じ、翌日には発熱、発疹、筋肉痛などが生じジカウイルス感染症(ジカ熱)の診断。そして性行為があった6日後、パートナーにも同様の症状が出現し、検査の結果、感染が確定したのです。

人間の汗のにおいと呼気に似せたガスを出し、ジカウイルスを媒介するネッタイシマカを引き寄せ、吸い込む効果をうたった広告看板=ブラジル・リオデジャネイロで2016年4月26日、三浦博之撮影
人間の汗のにおいと呼気に似せたガスを出し、ジカウイルスを媒介するネッタイシマカを引き寄せ、吸い込む効果をうたった広告看板=ブラジル・リオデジャネイロで2016年4月26日、三浦博之撮影

発症後、半年たってもウイルスが精液に含まれる

 同時期に興味深い発表がおこなわれました。医学誌「THE LANCET Infectious Diseases」16年7月11日号に掲載された論文によれば、フランスでジカ熱を発症した27歳女性の子宮頸部(けいぶ)からジカウイルスが検出されたのです。

 これら二つの症例から言えること。それは、女性がジカウイルスに感染すると、ウイルスは血液のみならず膣分泌液にも存在し、実際に女性から男性に性感染するということです。男性から女性だけではない、ということがあきらかになったのです。

 もう一つ、大変興味深く重要な症例をお伝えします。医学誌「Eurosurveillance」16年8月11日号に掲載された論文に、ハイチから帰国しジカ熱を発症した40代前半のイタリア人男性の症例が報告されています。驚くべきことに、発症してから181日目の精液からジカウイルスが検出されたというのです。

無症状の感染者ばかりでも胎児に異常が生じる可能性

 これらをまとめると、ジカウイルスは男性から女性、女性から男性の双方向で感染する、感染すると半年間精液にウイルスが含まれることがある、ということです。ちなみに、CDCは男性から男性の性感染の報告も行っています。

 そして、これらの症例が検討された結果、CDCの現在のガイドラインは次のようになっています(注2)。

・男性は、ジカウイルスに暴露した可能性があるなら、無症状であっても最低6カ月間はパートナーを妊娠させてはいけない。

・女性は、ジカウイルスに暴露した可能性があるなら、無症状であっても最低8週間は妊娠しないことが推奨される。

 妊婦さんが感染すれば、かなりの確率で胎児に異常が出ることが分かっていますからこの指針は大変重要です(注3)。6カ月、8週間という期間も大切ですが、もうひとつ、忘れてはならない重要事項が「無症状であっても」ということです。ジカウイルスは感染しても8割が無症状なのです。

不用意な性交渉が重大な結果を生むことも…

 ここからは私の臨床経験から、このCDCの勧告に「補足」をしたいと思います。私がこれまで診てきた患者さんのなかで、妊娠中に何らかの性感染症が発見された、という女性は少なくありません。奥さんの妊娠中に浮気をしてHIVに感染した男性の患者さんを診察したこともあります。地域にもよりますが、妊婦健診で何らかの性感染症は1割近くで見つかるという報告もあります。

 私が言いたいことは、パートナーが妊娠する少し前まで他の相手と性交渉を持つ男性や、パートナーが妊娠中に浮気をする男性がいる、ということです。例えば、妊娠中のパートナーがいる男性Aさんの浮気相手である女性Xさんは、その1カ月前に別の男性Yさんと性交渉をしていたという例を考えましょう。そのYさんが5カ月前に南米旅行をしていたとしたら……。ジカウイルスはYさん→Xさん→Aさんと感染し、妊娠中のAさんのパートナーにまで感染する可能性が出てきます。そして、全員に自覚症状が一切ない可能性があり、Aさんとパートナーの間に生まれてきた子供が先天異常……ということが、あり得るのです。

 ジカウイルスがどれだけ“恐怖”かがお分かりいただけたでしょうか。やはり、「蚊」は世界一恐ろしい生物、なのです。

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注1:2016年初頭には「ジカ熱」という言葉の方が一般的であり、便宜上「ジカ熱に感染する」と使われていました。「ジカウイルスに感染する」が正しい、という指摘は当時からありましたが、「デング熱に感染する」という表現が使われていることから「ジカ熱」が好まれていたのです。しかし、本文で詳しく述べているように、このウイルスが厄介なのは高熱を中心とした自覚症状ではなく、むしろ無症状でも性感染し胎児の先天異常のリスクとなることであり、そういったことが知れ渡るようになり「ジカウイルス」が一般的になりました。

注2:  WHOも性感染の危険について「勧告」を行っており、その和訳が厚生労働省のウェブサイトに掲載されています。WHOとCDCでは見解に「差」があります。WHOは「ジカウイルスの伝播(でんぱ)が発生している地域から帰国した男女」に限定しているのに対し、CDCは「(たとえ無症状であっても)最後に感染の機会があってから=last possible exposure (if asymptomatic)」としています。私はCDCの見解の方が現実的だと考えています。つまり、本文で紹介した例のように、流行地に渡航しなくても性感染で次々に伝播していく可能性を考慮すべきだと思います。

注3:16年1月から9月に米国でジカウイルス感染症として登録された妊婦442例のうち26例(6%)に先天異常が起こったという報告があります。医学誌「JAMA」17年1月3日号で報告されています。

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谷口恭

太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。