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優秀な便はどこに? 糞便移植の難しさ

谷口恭・太融寺町谷口医院院長

抗菌薬の過剰使用を考える【6】

 前回紹介した糞便(ふんべん)移植、興味を持った人は少なくないのではないでしょうか。私自身もこの治療法を初めて聞いたとき、まず驚き、次いでなるほど……と感じました。腸内フローラをいい状態に戻すことができれば、たしかに多くの疾患の治療や予防になるでしょうし、健康な人の腸内フローラを持ってくるには糞便移植が一番手っ取り早いと考えられるからです。

さまざまな病気の治療に試みられている糞便移植

 腸内フローラという言葉は最近使われるようになったものですが、「整腸」「善玉菌」といった言葉は随分前からあります。「腸内のいい菌を増やせば便秘も下痢も改善する」というのは昔から言われていたことで、これは間違っていません。実際に、抗菌薬の副作用で下痢をしたときに整腸剤を投与すればすぐによくなります。「整腸剤」とは乳酸菌やビフィズス菌からできたもので「善玉菌」と考えられているものです。最近は「プロバイオティクス」と呼ばれることが増えてきました。

 もしも整腸剤だけでクロストリジウム・ディフィシル(以下「CD」)による下痢が治療できれば、糞便移植がここまで注目されることはなかったはずです。抗菌薬が効かないなら善玉菌を増やすために整腸剤を大量投与する、という治療は誰もが考えるものですが、実際にはいくら投与してもCDにはほとんど無効です。しかし、CDで“汚染”された腸内に多数の細菌を糞便ごと持ってくると、見事に健常人の腸内フローラが“再現”され、元々他の細菌よりも弱い存在のCDはおとなしくなるのです。

 前回述べたように、糞便移植は腸内フローラの乱れが原因で発症したと考えられている他の疾患(潰瘍性大腸炎や花粉症、多発性硬化症、自閉症、肥満など)に対しては(効くという報告もありますが)それほどいい成績が出ていません(注)。しかし、これらの疾患に対しても進行を止めることや予防ならできる可能性はあります。私自身もそう考えていますし、これも前回紹介しましたが、自閉症の改善目的で自分の子供に糞便移植を試みる両親のことがアランナ・コリン氏の著作「あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた」で紹介されています。

古代中国にある驚きの糞便治療法

 皆さんの中には、糞便移植よりももっと手っ取り早い方法、つまり「他人の便を食べる」ということを考えた人もいるかもしれません。実はこれはあながち突拍子もない話ではないのです。コリン氏の本によると、古代中国、西晋・東晋時代の著述家、葛洪は「肘後備急方」という著作の中で「食中毒やひどい下痢を起こした患者には健康な人の糞便を飲料にして与えれば奇跡的に回復する」と書いています。また、同様の治療法が1200年後の中医学手引書にも出てくるそうです。

 おそらくほとんどの人は便を食べることには抵抗があるでしょう。しかし、内視鏡を使って便を肛門から注入する方法なら、抵抗感は幾分軽減するのではないでしょうか。もっと簡単な方法で有効な治療法があれば別ですが、前回紹介したハワイの女性カウンセラーのように、もはや治療法がないというときに糞便移植を提示されれば検討することになるでしょう。では、今後難治性のCDの治療に、あるいは肥満や花粉症、自閉症などの予防に糞便移植が頻繁におこなわれるようになるのでしょうか。

「糞便エリート」はどれくらいいる?

 糞便移植をおこなう場合、当然のことながら提供元(ドナー)の糞便は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)やB型肝炎ウイルス、あるいは病原性大腸菌O157などの感染症のリスクがなく、善玉菌が中心の、バランスのとれた理想的腸内フローラを有していなければなりません。献血をおこなう人の健康状態が良好でなければならないのと同じことです。問題は、そのような理想的な糞便を持っている人がどれくらいいるか、です。

 米国では、マサチューセッツ工科大学の研究者らが、「オープン・バイオーム」という名前の非営利の「糞便バンク」を既に開設しています。同組織のウェブサイトによると、糞便を提供するボランティアは1回40ドルを報酬としてもらえます。ドナーの条件は、18~50歳であり、BMI(体格指数)が30未満で、糞便を採取する施設から近くに住んでいる人であること。条件を満たせば誰でも応募はできます。しかし、しばらく抗菌薬を飲んでいない、感染症に罹患(りかん)していない、などの基準を満たし、ドナーとして「合格」する人は50人に1人程度だそうです。献血ではほとんどの人が適合するのとは対照的です。しかも自分の便を他人の病気を治すために提供しようとするのですから、志願者の多くは健康に自信があり、下痢や便秘のない人でしょう。そう考えると適した糞便を持っている、いわば「糞便エリート」はわずかしかいない、ということになります。

現状では「期待しすぎ」は禁物

 肥満に悩んでいる人、花粉症やぜんそくで苦しんでいる人、有効な治療薬がなく生活に支障をきたしている多発性硬化症のある人、自閉症やその他精神疾患で悩んでいる人たちが、「治療」として糞便移植に期待するのは、時期尚早でしょう。発症予防や進行を食い止めるということには可能性はありますが、「糞便エリート」は限られていることや、日本にまだ糞便バンクがないことを考えると、そう簡単に開始できるものではありません。

 難治性のCDに対する糞便移植は、日本でもいくつかの病院が研究レベルでおこなっていますが、実用化とは言えない段階です。しかしCDの恐怖は高齢化社会にすでに突入している日本では切実な問題なのです。

 実は、国を挙げてある政策に取り組み、CD発症を大幅に減少させることに成功した地域があり、最近論文で報告されました。我々は糞便移植の前におこなうべきことがあったのです。そしてこの政策を徹底すれば、アレルギー疾患や肥満などのCD以外の疾患を国民レベルで減らせる可能性もあります。次回はその内容を報告します。

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注:これらの疾患(の予防)に糞便移植が有効と考えられる根拠となる動物実験は多数あります。本文では述べませんでしたが、興味のある方は前回紹介した参考文献を参照ください。

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太融寺町谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。